第五回 「男を買う」とオカンに宣言した日。E子の母ちゃんの場合 恋愛と性愛と純愛  E子の母ちゃんその2

小学校からの同級生E子の母親、通称おばちゃんが「男を買ってパーッとやろう!」とオカンを旅行に誘い、それによりとんだトバッチリを食ったことがあった。若くして未亡人だったおばちゃん。今考えればけっこうモテてたよね? “性を買うのとモテは、必ずしも反比例しないんじゃない?” ということで、ガキの頃を記憶をたぐりよせながら母親世代のモテを検証すると見せかけて、秘めた純愛をご紹介します。

※前回コラム「男を買う」とオカンに宣言した日。E子の母ちゃんのつづき

私の母親世代。つまり、昭和ド真ん中に母ちゃんだった人たちは、今は70やら80やらの後期高齢者たちだ。天に召された人もひとりやふたりではない。じっさいE子の母ちゃんは、ある日突然90才近い富豪と電撃結婚を発表した数年後に、病気で亡くなっている。

細く垂れた目、化粧っけのない浅黒い顔にショートカットがE子の母ちゃんの印象である。美人ではないけれど、高音でケラケラとよく笑う人で目尻のシワがやたら多かった。いつ行ってもササッと手早く料理を作ってくれて、それがとてつもなくおいしかった。私は自分の母親よりもおばちゃんにレシピを聞いたほうが多い。
若い頃、大食いだった私のイメージがどうしても拭えないようで、大人になってからも遊びに行くと炊飯器いっぱいにごはんを炊いてくれた。うれしそうなおばちゃんを失望させるわけにもいかず、私は吐きそうになるのをかろうじて抑えながら死に物狂いで食べた。世の中には伝えたほうがいいことと、そうでない事柄がある。彼女は真実を知らぬまま逝ったので、ささやかな恩返しができたような気がする。自己満足である。

「おじちゃん」ことE子の父親は、私たちが小3のときに病気で突然亡くなった。おばちゃんとは対極的な無口な人で、日本人ばなれした彫りの深い顔立ちをしていた。瞳の色がやや濁ったグレーだった気もするけれど、子供心に”ハーフっぽい”というバイアスがかかっていたのかもしれない。その大きな目は伏し目がちで、かといって決して薄幸そうだったり暗そうなイメージではなく、どことなくおだやかに笑っているような口元をしていた。それがまた映画俳優のような雰囲気を醸しだしていたように思う。よく覚えていないけれど、小さな町では評判だったのではないだろうか。私はおばちゃん同様、おじちゃんも好きだった。

おじちゃんは、大手企業に所属して何かの研究をしているらしかった。家にいることはあまりなかったけれど、たまに見かけた休みの日でも一日中淡々と大きな水槽に入った熱帯魚の世話をしていたので、おじちゃんといえばいつも背中を思い出す。晩ごはん時にお邪魔すると魚の世話も終わっていたようで、窓辺に腰かけて(この家の窓がやたら大きかった)時々煙草を吸いながら新聞を読んでいた。ここでもまたやはり背中なのである。
外で飼っていた雑種犬のポンが、片時も離れまいとおじちゃんの足元を陣取っていた。
「パパー! ごはんできたから早く来て、こっちに座って」
という甲高いおばちゃんの呼びかけには、一呼吸置いたあとに「うん」だか「ああ」と言って立ち上がり、老人のようにゆっくりとリビングの席にやってくるのだった。
ある日突然死んだように思えたおじちゃんだけれど、こうして思い起こすと、もしかしたら何年も病魔に侵されていたのかもしれない。

おじちゃんが亡くなり、大黒柱が不在になったE子一家。おばちゃんもE子も、やたら大人びていたE子のお姉ちゃんも、私の目にはいつもと変わらぬように生活していたように見えた。そんなことはぜったいにないはずなのに、人の家族に鈍感なのは、子供がゆえなのかそれとも私が愚鈍なのかそこのところはちょっとわからない。

おばちゃんは、それから、かけもちでパートをしていることもあれば、まったく働いている様子がない時期もあった。遊びに行くと、知らないおじさんがいることも度々だった。恋人だったのだろうか? 遊んでもらったり、食事をしたこともあったような気もするけれど、あまり濃厚な思い出はない。定期的にちがう人に入れ替わっていたし、すぐに人馴れする私でも、あまり親密になることはなかった。
私たちはいつも、おじちゃんが昔煙草を燻らせていたあの大きな窓から彼女の家に出入りしていたが、大抵の男たちは帰るときには必ず玄関に向かった。E子の家は、大人も子供も親しいものはみな窓から出入りしていたし、私は多分一度もそのドアを開けたことがない。だから、『玄関は特別な人が通る場所』という認識があったはずなのに、私は「あの人誰?」と訊ねることもなく、いや、あったのに忘れてしまったのかもしれないし、興味もなかったのかもしれない。
どちらにしてもそんな光景を、なんだか当たり前のように、おじちゃん不在後のE子の家の一部として受け流していた。今考えてみたら当時おばちゃんは30代。チャーミングな未亡人を、小さな街の男性陣が放っておくはずがない。
けれども誰ひとりとして思い出せる顔はないのである。そしてどういうわけか、それほど長い時間過ごしたわけでもないおじちゃんの顔と背中を、私は鮮明に思い出せるのだった。

そうして私たちは大人になり、働いて、結婚し、子供を授かった。その子供たちも今やほとんどが成人した。そのうち結婚もするんだろう。当時子供だった私たちは老い、近い将来死んでいく。それはきっと、悲観すべきことではない。

おばちゃんが富豪と結婚する、した、という情報は、私のオカンからだったかE子からだったか。式は挙げないということだったので、電話と、お祝いの品を送っただけになっていた。そのあと、みんなで2回ほど食事をした。部屋の数がやたらと多くていまだに家で迷うことがあると笑うおばちゃんの目尻のシワは、そうとう深くなっていた。

彼女が亡くなったのは、それから少したった冬のことだ。最近ではめずらしい自宅葬だった。件の豪邸ではなく、私たちが慣れ親しんだ大きな窓を持つあの家。とうに家主のいなくなった犬小屋がそのままになっていて、それを見たら懐かしさで、胃のあたりがギュウと音を立てた。ハラハラと雪が舞っていた。ポンの小さな家の屋根にも、うっすら白い雪が積もり始めていた。
喪主は、富豪の夫ではなくお姉ちゃんが務めた。確執があったわけでも高齢だからでもない。もちろん亡くなったわけでもない。おばちゃんは富豪と、籍を入れていなかったのである。

友人知人はもちろん、家族にさえ知らせていなかった事実だった。ウソをついていたわけではないが、あえて言わなかったのだろう。亡くなったあとに判明した。詳細は聞いてないけれど、もしかしたら夫さえ知らなかったのかもしれない。

「ママね、どうしても、パパといっしょのお墓に入りたかったみたい」
E子はそう言いながら、私の喪服の袖を力強く掴んでまた泣いた。父親譲りの薄い色をした瞳から、涙がポロポロとこぼれていたけれど、たぶん、少し、うれしいような誇らしいような気持ちもあったんじゃないかと思う。

私が、おばちゃんの恋人たちの顔を思い出せない理由。それは今なら漠然とわかる。次々に恋人を換えたときも、男を買おう! とオカンを旅行に誘ったときも、富豪と結婚したときも、大黒柱は不在ではなかった。おばちゃんは夫を、E子たち姉妹は父親を、ずっと忘れずにい続けた。なにも変わらずに生活していたのは、鈍感な子供である私だけだったのだ。母子らの内に仕舞いこんだ深い悲しみやさびしさ、つらさを察することはできなかったけれど、そんな私でもしっかりと、おじちゃんのことは思い出せる。それはきっと、彼女たちのそばに、気持ちの中に、おじちゃんがずっといたことを肌で感じていたからではないかと、そう思うのだ。

今週のWEB
100 Powerful Photos Of Dads…
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生まれてきた自分の子供と初めて対面した瞬間のパパたち100人の写真。
自分のときのことを想像して、泣き笑いしてしまうコレクション。