story6.池袋でコートを売る女

 

先日、池袋でコートを試着したら全っ然似合わなかった。お店の前にディスプレイされていた時はあんなに可愛く見えたのに、自分が着た途端その可愛さが半減というか激減してしまい全然可愛くなかったのだ。確かに冷静に考えると、いいと思っているもの全てが自分に似合う訳ではない。ではないけれども、「わ~やっぱり可愛い!これ下さい」という次の展開を勝手に用意した状態で羽織ったものだから、ただただずっこけた。でも、圧倒的な事実として『似合ってない』自分が目の前の鏡に映っているのだからどうしようも無かった。こんなに好きなのに、一緒になれないなんて。と、ちょっとだけ価値観の不一致で別れる芸能人カップルを妄想した。

 

(イラスト:著者)

 

そんな感じで鏡の前で右や左に何度もポーズを変えながら、何とかして似合って見える角度を探すような試着を繰り返していると店員さんが来てくれて「お似合いですよ」と言ってくれた。わたしは内心「正気かよ」と思いつつも、お仕事という立場もあるだろうし、しかし同じ女性として、この不条理な状況へのアドバイスを求めてみようと思い「コート自体はめちゃくちゃ可愛いのに、自分には全く似合っていない場合、店員さんならどうしますか」とシンプルに尋ねた。すると彼女は一切の迷いもなく

 

「絶対に買う」

 

と答えてくれた。「買うんや……」心の中だけで留めておこうと思った声が彼女の即答のリズムに乗せられて、「買う」「買うんや」という餅つきみたいなテンポでつい口から返事が漏れてしまった。

 

彼女は続けて「服との出会いは一期一会だと思っているので次にもっといい人が現れるとかは思わない主義なんです」と言った。なるほど~と返事をしてから「途中から服が人になったな」と思ったがそこはスルーした。続けて「洋服って自己満足ももちろんありますけど、周囲の人から見られるものですから、わたしはお客様にそのコートがとても似合っていると思いますので自信を持ってくださって大丈夫だと思います」と言って大いに購買意欲を盛り上げてくれた。

 

 

「ちょっと襟抜きをして着ると今っぽいですよ」とアドバイスくれたので「なるほど、その加減不足だったのかもな」とやっぱり店員さんに相談はするべきだな~と感心して、改めてコートを試着した。すると何という事でしょう…!

 

 

やっぱり全然似合わん。

 

 

着崩しても似合ってない、襟抜いても似合ってない、鏡からちょっと離れても、他よりちょっと斜度強めの鏡の前に立っても全然似合ってない。「お似合いです~」と、すかさず言う彼女に「裸眼ですか?」って聞こうと思って振り返ったら大きい瞳にハードレンズがびっちり張り付いていた。

 

「やっぱり似合ってないです、残念」と言ってコートを脱ぐと店員さんは「そうですか~残念です~」と言った後「わたしは似合わなくても着たい!と思うタイプなので凄く勿体ないと思ってしまいます~」と言って顔をくしゃっとさせた。その瞬間わたしの中の『何それセンサー』がビビビ!と反応した。「すみません、もう一回言って下さい」気づけば無意識にコメントのお替わりを求めていた。コートも買わんくせに……。

 

 

理想と現実は違う。店員さんの価値観からするとわたしは「似合わない」という現実に負けて「着たい」という理想を諦めてしまった様に見えるという事だった。しかしわたしからすると、似合ってない自分をまぁよしという事には絶対に出来ないわけで、理想を貫いた結果の決断という感覚だった。わたしは似合ってないのに着たい意味が分からなかったし、彼女は着たいものがそこにあるのに、着ない理由が全く理解できないと言った。ただ面白かったのは意見が合わなければ合わないほど笑えて来るのだ。あっぱれ、見事と言った感じで、なんだろうジャンケンで絶対あいこにならない記録の様な。自分と全く違う価値観、でも確実にそれが存在している事が面白かったのかもしれない。とにかく、目の前の人がはっきり自分と違う事を言うから、自分も何も考えず相手と違う事を解放できた。そんなとても気持ちいい時間だった。

 

 

散々話した後何も買わずに店を出たにも関わらず「よければまたお喋りだけでも遊びに来てください」と言ってくれた彼女。お店を出てからもしばらく入り口で見送ってくれた彼女に手を振りながら、今度会った時は恋愛の話も聞いてみようと思った。相手が服でなく人になっても彼女は「付き合えなくても好き!」と言うだろうか。そしたらわたしは「付き合えないから好きになるのを止める」とか言うのだろうか。ちょっと考えてから、とりあえず「着たいし似合うコートを探そう」と思った。