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Case1.5 過不足に揺れる私たち 前編

 

はい。というわけで、Case0とCase1が終わりました。

改めまして、ご挨拶させて頂きます。執筆者のマドカ・ジャスミンです。

 

「小説調だったのにいきなりコラム?!」と驚かれたかもしれませんが、後書きならぬ中書きとして読んで頂ければ幸いです。所謂、テレビの副音声的なものに近いイメージで書いております。

 

今まで順風満帆に自分のやりたいことをこなしてきて、ガツガツと自分で人生を切り開いてきた出海眞代(いづみましろ)がとんでもなくデカく、それでいて困難な壁にぶつかるまでがCase0とCase1ですが、この内容には自分の実体験がこれでもかと濃縮されています。

 

私自身は大学生ではなかったものの、20歳で記事を書き始め、これまで多くのいい結果を得られてきました。それは勿論、自分の力だけではなく、メディアの方の力をお借りした故だと思っています。けれど、想像以上の反響や、実際に読者からの声を得ると、これはもう舞い上がってしまいますよ。単純なので。

 

しかし、執筆をしていく中で、「果たしてこれは自分が本当にやりたかったものなのか」と悩む時もあります。その理由で言えば、私は元々ライターになることを熱望していた訳ではなく、SNSで有名になりたいという願望の選択肢として、たまたま相性が良かったのがライティングだったからです。

 

自分で言うのもなんですが、私はライティングを始めてから、Twitterではそこそこ名前を知られるようにもなりました。有り難いことに雑誌やテレビなどのメディアにも出させてもらうことも少なくありません。だけど、不思議なことにその回数を重ねれば重ねるほど、「自分とは何者なのか」と困惑する機会も増えていきました。

 

心の底から、「ライターになりたい!物書きで食っていく!」と意気込んで始めたなら別かもしれませんが、私の場合はどんどん“マドカ・ジャスミン”という名前が独り歩きしていっている状態とも思うことがあります。また、ライティングを始めた当初は、それ以外の仕事もしていましたが、今は“マドカ・ジャスミン”一本で仕事をしている状態。勤め人とは違い、自分で動かなければ、生活を賄っていけません。眞代と同じです。

 

今までの私だったら、「有名になってやる!」という意思だけで動けてきたのですが、最近はそこに変化が生まれたかつ、1995年生まれの同世代が社会人デビューしていくのを横目で見ていると、沸々と焦燥感が芽生えてくるのです。逆に言えば、今までは焦燥感をプレッシャーとして認識していたに過ぎないのかもしれません。

 

きっと眞代も、最初は「周りよりも名前が売れている!自分の力で稼げている!」という思考があったものの、大学という枠を出て、ある意味自分の無力さを痛感したのでしょう。SNS上では、今も昔も肩書きでチヤホヤされます。眞代が執筆を始めた当時は、彼女はまだ大学生でした。面白い事に社会人のコラムニストよりも、“大学生”という肩書きを掲げたコラムニストの方がより注目されます。文章の内容が良かったら反響を得ることは当たり前ですが、SNSでは誰が書いたかも極めて重要になってきます。例えばの話、フォロワー100人の人が書いた記事よりも、フォロワー10,000人の人が書いた記事の方がなんとなく説得力を感じてしまうものです。だから、眞代は知らず知らずの内に“大学生”という減衰資産によっての権威効果をあたかも自分の実力だと認識してしまっていた。だからこそ、資産が無くなってしまった状況で今まで見ないフリをしてきたものが見えてきてしまい、苦しみが心を蝕むことに。

 

さらに眞代は、紘和という成功の偶像から拒絶されたのも大きい。自分に自信が無い人間は(まあ私もだけど)、近くに成功者がいたとして、その人に自分を受け容れられると、「こんな人に認められている自分はすごい!」と成りがちだ。決してそれは悪い事ではないが、その認識が度を超すとその人からの受容を継続することが存在意義となってしまう。言ってしまえば、他者依存にも近い。

 

考えてみれば、いくらコラムニストとしてそこそこ実績を積んでいるとはいえ、紘和との交流があった時の眞代は所詮大学生。そりゃあ、有名人とアレコレあったら調子に乗るわなと納得も出来る。問題は、それを自分の存在意義としてしまったことだ。「紘和さんにもっと認められるために頑張らなきゃ」という思いは、きっと大いにあっただろう。それ故に拒絶された過去が、今となって自分を苦しめる要因になってしまった。眞代にとっての紘和からの拒絶は、神に見捨てられたのと同義なのだから。

 

 

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