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第四回「ざくろ:1.99ドル」

 

こちらニューヨークでは、秋が深まるとスーパーマーケットの青果売場の顔ぶれががらりと変わる。一面に敷き詰められていた桃やプラムが退場し、数えきれぬほど多種多様なりんごがどんどん増殖していく。産地と特性、色艶を競い合って季節の人気者たちがきらきら輝くそんなメインステージから少し離れた販台に、野菜のようにぞんざいに転がされているのが、渋い色味のざくろ。

 

日本に住んでいた頃は、売っているのを見かけたためしがない。たとえ見かけても、家へ持ち帰るという発想がなかった。レストランで肉料理やサラダの上からぱらぱら散らされているとそれだけで嬉しくなるし、カクテルのレシピにグレナデンシロップとあるだけで美味しそう、冷蔵庫にはジュースも買い置きしてある大好物。けれども自分で果物として買ったことはなかった。

 

 

検索すると国内では1個350円から500円が相場と書いてある。高価だから見落としていたのかもしれない。ユニオンスクエアのホールフーズマーケットで私の背中を押したのもまた値段だった。仲間たちに押し潰されてだいぶ傷みかけている売れ残りの有機栽培りんごが1個1.79ドル。日本風のみずみずしい梨はアジアンペアーと呼ばれ、稀少価値で2.79ドルもするが、ハズレも多い。2ドル以下のざくろ、よい買い物ではないか。

 

今まで長らく見て見ぬフリをしていた理由は、処理方法がわからないせいもあった。古来、人肉に喩えられる赤く美しい果肉。木に生ったまま熟れきって内側から破裂する姿は、爆弾魔が仕掛けた甘い罠のようにも、それに掛かった痛ましい犠牲者のようにも見える。ギリシャ神話のペルセポネが冥界で口にして地上へ戻れなくなったのもざくろの実だ。はちきれんばかりに詰まった幾千の瞳は魚卵のように生々しくこちらを見据え、一方で、この世に存在してはならない劇薬を凝縮したカプセルのように無機質に毒々しくも感じられる。

 

食べごろとか、熟れどきとか、傷むとか、腐るとか、見当もつかない。包丁でカチ割れば血のように汁がはね飛ぶだろう。好物だけど好物だけに持て余し、途方に暮れてその場でぐぐると、「水で剥く」と書いてあった。

 

■「W・A・T・E・R」!!

 

そう、ざくろは、水で剥くのだ。ヘタの部分を切り落として蓋のように開き、上下に浅く包丁で切り目を入れたら、たっぷり水を張ったボウルに投入して、その中で皮をむしっていく。最初は豪快に、オレンジを剥くのと同じくらい思いきって親指を挿し込む。ぱっくり割れて果肉がのぞいた後は、軽く力をかけていくだけで、両手の間でほろほろ崩れていくのが指腹に心地よい。ちょっとASMR動画に通じる快感がある。

 

 

動かすたびに幾粒かは潰してしまうもので、ボウルの水にじんわり色が染みて、透明度20%程度のマゼンタになる。しかし最初の手順で包丁と俎板に付着した肉色モリモリのどぎついガーネットに比べれば、かわいいものだ。あのまま地上、もとい俎上で剥き続けていたら、バラバラ殺人現場と化した台所中が鮮烈な赤に染まり、それこそ取り返しがつかなくなっただろう。

 

冥界、もとい流しに置いたボウルの水中は穏やかな静寂に包まれている。赤いツブツブは種子を覆う種衣、ふわふわしたオフホワイトの皮裏に守られていた無数のきらめきは、解き放たれるやいなや、自重でゆっくり水底へと沈んでいく。腸を抜かれた外皮は水面に浮かび、大きさに似合わぬ軽やかさと網目のように残った粒の跡とがハチノスのようだ。気の済むまで水遊びして細かな薄皮を揉み落とし、何度か水を取り替えては不純物を取り除く。

 

価値あるものだけが水底に残る。これが砂金採りならウハウハだぜ、と考えたり、海中に沈んだアトランティスの財宝へ想いを馳せたり。幼い頃から慣れ親しんだ米研ぎに似た懐かしさもおぼえる。ざるにあけてペーパータオルに取り、適当に転がして水気を切ってのち、ジッパー付き保存袋に平たくのして並べ、冷凍すれば一ヶ月はもつそうだ。グレープフルーツ大から、小分け袋に三つ四つほどの量がとれた。何をどうしてあんな小さな球形に収まっていたのか、バラした後からは想像もつかない。

 

 

洗いながらも何度かつぶつぶ口に運び、だいぶ食べた気がするがまだたっぷり残っている。りんごの丸かじりに比べたら、これで2ドルはずいぶんコストパフォーマンスがよい。高級レストランで皿にあしらわれるようなものと違って種子のところが固く苦いが、その食感もまた悪くないと思えるのは、種ありぶどうなどと同じ。さっきまで「宝石のようだ」と褒めそやしていたのに、今となっては柿ピーくらいの感覚でポリポリつまんでいる。

 

こんなに簡単に剥けると知っていたら、もっと早くに家でも買うようにしたのにな。果物の値段は需給のバランスで変動し、外でしか食べられないと思っていたものは、内で食べられるようになったことで、その価値を少し落とす。しかし冷凍庫に欠かせない常備食となることで懐に飛び込んで私の胃袋をふたたびがっちり掴み、また少しだけ他の果物に差をつけて、その価値を高めるのだ。

 

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