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Case1.5 過不足に揺れる私たち 後編

 

仕事も上手くこなせない。それでいて、紘和との過去に苦しめられる眞代はまさに絶望の渦中にいるわけだが、思うに眞代は本当の意味で絶望に苛まれているのか。今後は、そこをメインに執筆していく予定ではいます。さて、何故本当の意味で絶望に苛まれてるのか、という疑問を抱いたかというと、Case0で既に眞代を良く知る人物である菱子(りょうこ)が登場しているからだ。菱子は久しぶりに眞代に会うや否や、眞代の不調を一発で見抜いた。そこまで自分を理解してくれる友人が一人でもいる。その時点で、眞代は絶望的状況ではない。付け加えるならば、仕事に理解がある親もいる。何も絶望的ではないじゃないか!

 

人間というものは、“当たり前”に感謝することを疎かにしがちだ。眞代みたいに「一人で何でもやったきた!」というスタンスの人間は、特にそれが顕著。それでいて、眞代はきっと完璧主義な一面もある。菱子から不調を指摘された時、素直にその忠告を受け容れなかったのもそれが起因しているのだろう。自分を過信し、完璧主義者。ある程度までの実績を積むには強力なエンジンに成り得るが、それは長くは続かない。そして、眞代は見事にエンジン切れを起こしてしまった。そりゃそうなるわ。

 

ここまで、眞代についてを散々書いてきたけど、眞代は私の投影でもあるのでとっても複雑な心境でいる。まるで、自分と向き合う作業のようだ。自分と向き合うのは酷く難しいが、他人として考えると案外容易く出来るものなんだと気付く。そういった些細な認識の変化で、価値観は大きく変わるものだ。私事だけど、この記事は出張先のミャンマーで執筆している。十数年ぶりの海外旅行で、しかも初東南アジア。楽しみだった反面、不安も大きく、本音を言えば出発間際まで「行きたくない」という気持ちが無かったわけではない。だけど、滞在してみて私はここに来るべくして来たのだと思った。

 

眞代と同じ完璧主義者なのもあり、私は一度ネガティブになると自分が本来身を包まれている筈の幸福から目を背けがちになる。そして、自分の抱く理想に届かないフラストレーションを環境のせいにしてしまう(クソかよ)。そんなクソ人間は、異国の地に赴き何を感じたかというと、「私ってめっちゃ恵まれているじゃん!」だ。日本では当たり前のことが、この国では当たり前じゃない。バスルームのお湯が出にくいしシャワーの水圧が安定していない、横断歩道が殆ど無いから車に轢かれそうになりながら道を渡る、屋外のトイレにトイレットペーパーが無い、お店の店員さんが店内で食事をしていたり椅子に座っている、ご飯がそこまで美味しくない、道が舗装されていない、野良犬がたむろしている…挙げればキリがない程のカルチャーショックの連続だ。私が住む国が生活環境が整い、安く美味しいものが食べられ、いかに過ごしやすいかを実感している。そんな住みやすい上に家族や友達がいて、仕事もあるし、先ず死ぬことが殆ど無い。

 

ただただ幸せじゃないか。

 

チルチルとミチルが探していた幸せの象徴である青い鳥が身近にいたように、幸せなんて見ようとすればいくらでも見ることが出来る。それに気づくかどうかで、人生は大きく様変わりするものだ。身近な幸せを蔑ろにして、成功は無い。そもそも、日本に生まれ落ちているだけで世界的に見たら、それはもう立派な成功。私は異国でその知見を得た。眞代は、その知見をどうやって得るのか。いや、得られるのか。今はまだ分からないが、きっと彼女にも出来るだろう。

 

次回もお楽しみに!

 

 

 

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