第一回「聞き上手でなくても、聞き逃さなかった3つの霊長類」

 

そろそろ自覚がでてきた。
よくしゃべるという自覚である。
各々の脳細胞の質、あるいは数により個人差はあるのかもしれないけれど、人間が自覚するまでにこんなに時間を要するものなのか。40年をゆうに超えてしまった。
人の性質はひとつとは限らない。私の個性(ここではあえて欠点ではなく個性といわせてもらう)が5つあるとすると、次の自覚までにまた40年かかるのではないのか。だとしたら3つめの自覚のときには130才。5つすべてを自覚するとなると210才である。
自覚はあきらめた。医学的にも困難だろうし、そもそもそんなに自覚したいかというとそうでもなかった。死ぬまでにひとつないしはふたつ、自分の性分を自覚できれば十分ではないか。
このようなポジティブな開き直りによって、ある気づきを得たのである。
「そういえばよく言われるな……」
と、ハタと思い出した言葉をそのまま連載のタイトルにして、己の唯一の自覚をより一層強固なものにしていくつもりだ。自戒ではない。「自覚」、である。

 

それにしても、悪い行為というレッテルを貼られているわけではないのに、よくしゃべる「おしゃべり」という表現にはマイナスのイメージがどうにもつきまとう。ホメ言葉として使われることは皆無だ。
「話し上手は聞き上手」ということわざもある。これは暗に、方程式的に書けば

 

聞き上手 > 話し上手

 

こういうことになる。

 

聞き上手は、モテ要素として重要なポジションを占めていることも私は薄々感づいている。容姿やセンス、収入と比較すれば、比較的安易に無料で手に入りそうではないか。そこで、最強の聞き上手になるべく、ネットで聞き上手のポイントを調べて洗い出してみた。

・口角をあげて聞く
・会話は相手7:自分3
・タイミングのよい的確な相槌をうつ
・軽く前のめりで聞く
・オリジナルな質問をする
・「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」ぜんぶ聞く
・相手の話を文章に変換し「。」がつく所では「うん」。節や章などが変わる場所では「なるほど」「それで」などの相槌をうつ

……んー。ちょ、ムリですね。ソッコーで断念します。

聞き上手の件はとっととあきらめて話し上手に話は路線変更する。その代表格としてとっさに浮かんだのが小学校の校長先生だ。よし。朝礼でのありがたいお話を想起してみよう。
……。
…………。
えええええぇ……?
!!!!!
ヤバい。まったく思い出せない。

一体どういうことだ。体力や皮フだけではなく、やはりわたしの脳細胞もはげしく老化しているのだろうか。
即座に同級生たちにLINEしてみたところ、驚愕の数値を叩き出してしまった。

ゼロ
校長先生ゼロ!
いやちがう。校長先生のお話を覚えている率がゼロなのである。
類は友を呼ぶというから、私の友人らがこぞって朝礼で話を聞いてなかった確率は高い。そして全員が記憶力に重大な問題があるというケースもあり得る。それにしても、6年間の朝礼のお話をなにひとつ覚えていないとは……。

内容はいっさい思い出さなかった我々だが、決して脳に損傷があるわけではなかった。
急に鼻血を出してぶっ倒れた友だちとか、朝食を食べずに登校して貧血でぶっ倒れた友だちとか、オナラを我慢しすぎてなぜか倒れてしまった友だちとか、とにかくだれかがぶっ倒れた記憶だけは、昨日のことのように皆が鮮明に思い出したのだ。
これは、誰かの記憶に自分を残したい時に活用できる強力なライフハックになりうる。とっさの行動に移せるよう、日頃からぶっ倒れるトレーニングをしておくといい。

それ以外に思い出したこともひとつあった。
たしか運動会を控え、全校生徒で行進の練習をしたのだと思う。少しだけ肌寒かったけれど、あいかわらず短パン半袖の男子は張り切っていたし、白い校舎は真っ青な空をより深みのある濃い色にして、まったくあきれるほどよく映えていた。

朝礼が終わると、運動会でよくかかる行進曲”ボギー大佐”がスピーカーから流れだし、いつもジャージ姿の先生がピーッピッと、この時のために生きてきましたと言わんばかりに勢いよく笛を鳴らした。しかたなく行進を始める高学年たちに続き、小3だった私たちはハンパにその場で行進のマネをする。右っ左っ右っ左っ……前方がぞろぞろと動き出し、いよいよ行進をはじめると、満足そうに子供たちを見つめる先生たちの前を通ることになる。

そこで見たシーンを、私ははっきりと覚えていたのである。
すでにご高齢であられた大迫先生が、子供たちの行進に合わせて口ずさんでいた。
「サル ゴリラ チンパンジー」
多分私は二度見した。いや二度聞きかもしれないけれど、とにかく耳を疑った。あっけにとられ、しばらく立ち止まったような気もするがそのあたりは定かではない。なによりシレッと歌っている先生の顔、声。それは、奇異な言動をしている表情ではなかった。彼女は校歌を歌うように、霊長類の名前をメロディに乗せて列挙していたのである。

幼少時の私に自覚はなかったが、もちろんその頃からおしゃべりだったのだろう。この時とばかりにみんなに吹聴した。こういうことの伝達の早さたるや! 校庭はサル・ゴリラ・チンパンジーの大合唱になり、私たちはいまだかつてないほど腕を上げ、足をあげ、地響きをたてて元気よく古今未曾有の行進をしたのだった。

もしかしたら高学年が先に歌い出したのかもしれない。それを聞いた大迫先生がいっしょに口ずさんだ可能性もある。けれども少なくとも、無意味かつ見事なこの替え歌を当時の私は知らなかった。
先生スゴい…。先生…。
話し方、声のトーン、立ち振る舞いのすべてがすこぶる上品な、小柄でやさしい大迫先生。少しシワとシミがあっておばあちゃんみたいだったけれど、もしかしたら今の私とおなじくらいの年齢だったのかもしれない。

転校した時の新しい担任だった。当時はめずらしかったピンクのランドセルを、驚異の目で見られることのないよう皆の前でホメてくれた。ある日突然爆発したようなカーリーヘアで登校して上級生に取り囲まれたときも、「かわいいわね」とやさしくなでてくれた。母が私にパーマをかけて失敗したことを伝えると、家に電話を入れて「とても似合ってますね」と安心させてくれたことは、末代まで語り継がれるだろう。卒業しても、引退した先生の家にみんなで突撃してはごはんを食べさせてくれた。いつも子供たちの声であふれていた大迫先生の半径5メートル。
あんなに子供たちにモテる教師を、私はほかに知らない。

今でも街を歩きながら、一人で行進する時がある。よくある。
「サル ゴリラ チンパンジー」と心の中で、あの時と同じように大声で歌っている。

聞き上手にならなくてもいい。
天国にいる大迫先生、私はあなたに、少しでも近づくことができていますか?