第八話 「とりあえず○○」

 

「ねぇ、あの人に何か聞かれた?」

「あの人って?シマさん?」

 

目白の切手博物館から高田馬場駅まで歩きながらユウイチはモト子に何度も謎の男シマの事を聞き続けた。二人が博物館を出た時シマの姿はどこにも見られなかった。本当にどうやって消えたのだろう。ユウイチはますますシマの存在が気になり始める。

 

「別に特に何も聞かれてないよ。博物館のポストの前で待ってたら突然あの人が現れて、曇ってますね、とか待ち合わせですかって聞かれて……」何も引っかかる事などないと言った感じで淡々と答えるモト子にユウイチは「変な人だと思わなきゃ、僕と待ち合わせてるんだから、切手博物館にロングコート来た長身の男って、おかしいでしょう」とキレ系のツッコミをするひな壇芸人みたいに説教をした。モト子はユウイチの危機感には全く気付く様子はなく「そんなの着てた~?」と言って笑った。

 

博物館から丁度坂を下りきった突き当りにファミリーマートが見えて右に線路、左にはマンションがあった。モト子は「この前通りたいから左に行きましょう」と言ってマンションを指さした。確かにデザイナーズで高級マンショに見えた。「この道通ったことないの?」とユウイチが聞くとモト子は「あると言えばあるし、無いと言えばないかな」と意味ありげな言い方をした。それを聞いたユウイチは「何それ」とは言いながら正直今はモト子よりシマの事の方が気になって仕方がなかった。

 

マンションを見ながら少し歩いてから最初の角を右に入った。丁度目白から高田馬場へ走る山手線の線路と並行に歩く形になった。「これだともう絶対に迷わないね」モト子は少し得意になってユウイチを見た。ユウイチは未だ何か上の空な顔をしていてモト子は「あの!さっきから変だけど、何か嫌な事でも?」と足を止めてユウイチの前に仁王立ちになった。前回の池袋のデートといい、モト子はもしかしたら思った以上に怒りっぽい性格なのかもしれないとユウイチは思う。そして、そんなモト子を見ても全然疎ましく思わない自分に気づいて「これは凄い事だ」と言った。

 

何の解説もなしに「これは凄い事だ」だけを聞かされたモト子はユウイチの前に立ったまま「はぁ?」と顔をしかめた。そして「もういいや」と大げさに顔をぷいっとしてわざとらしく腕と足を上げて歩く。途中何もないところで何回かつまずいていてユウイチはそれを微笑ましい気持ちで眺めた。

 

大きな通りを渡る信号の前に出て、その先で街の雰囲気が変わるのを感じ、そこが高田馬場駅だとすぐにわかった。真っすぐ前だけを見て歩いているとついさっき降りたばかりの目白駅の記憶はもうだいぶ薄い。そういえば大塚駅ってどんなんだったっけ。ユウイチは眉間にしわを寄せてなぜか後頭部に意識を集中させた。全然思い出せなかった。

 

高田馬場駅前は予想外に人が多かった。と、いうのはユウイチの印象だ。モト子は「今日は少ない方じゃないですか?」と言った。ここでユウイチがモト子にずっと気になっていた事を聞く。「あのさぁ、これデートね、今日って時間配分は、これはどういう……何か池袋でちょっと相殺する時間とかあったでしょ?あれとかも含まれての、え?何これどういう計算?」ユウイチは自分で言いながら頭が混乱してしまい結局質問ごとモト子に丸投げた。モト子がそれに乗じて「もうわかんないんで、何でもいっか」と言うのを期待していたがそんな事には当然ならなかった。

 

「池袋での相殺時間は2分です。目白は40分くらいしか滞在して言いませんが、ここまで徒歩で来たのでその分を含みたいと思います。で、高田馬場駅での持ち時間はただ今から残り55分となります。あ、ここでわたし今池袋分2分相殺しました」

 

一度も噛まずに説明し終えたモト子はバスガイドの様なポーズになっていた。「右手に見えますのは」の形で止められたモト子の手は駅前にある時計を指していて、時刻は15時40分だった。「じゃぁ、どこに行く?」最初に言ったのはユウイチだった。駅前をぐるり見渡せばドン・キホーテ、お菓子屋、本屋、ユニクロが入るビル、カフェ、ファミレス、ありとあらゆるジャンルの店があった。駅前の信号が変わるのを待ちながらふと背後にくぼんだ通りがあるのに気づく。その奥に「焼きとん 80円~」と書かれたお世辞にも綺麗と言えない暖簾が見えた。

 

最初にそれに気づいたのはモト子で、モト子はそこに目をやったままをユウイチの服をつまんで引っ張った。それに気づいたユウイチも、モト子の顔を経由してからそのくぼんだ通りに顔を向けた。ユウイチは正直、ここ?と思ったが、そういう気持ちの向こうに毎回経験ってあるんだな、と自分でも理解できないタイミングで小さな気づきを得た。店に入ったらモト子に池袋であったシマとの事を話そう、ユウイチはそう決めたがそれはこの後のモト子の一言によって叶わなくなることをこの時はまだ知らない。

 

歩行者横断用の音が鳴って人々が駅とバス停に向かって歩く中、二人はそれに逆らってくぼんだ通りの中へ潜った。夕方前だからか焼きとん屋に客はほとんど居なかった。席に着くなりモト子が軽い調子で言う。

 

「じゃぁとりあえず、採点から」

 

「オッケー、じゃぁ、僕はビールで」

 

ユウイチはテンポよくそう言ってから「採点?」と言うつもりが、なぜか「ビール?」と聞き返していた。

 

 

ナポレオンのメルマガに登録しよう!