Case3 邂逅(?)前編

「…ファンだから、何なのよ」

 

振り絞って出した声は僅かに震えていたと思う。彼は頑なに掴んでいる腕を離そうとせず、視線の厳しさを潜めようとはしない。

 

「まあ、こんな道端でする話でもない。この後、予定あるの?」

 

「何なの?新手のナンパ?」

 

「ナンパでも何でもいいけど、一応命の恩人な訳だからもっと丁寧に扱ってもバチ当たらないよ」

 

ふと、自分が飛び込もうとした車道に目をやった。タクシーを中心に色や形がバラバラな車が止めどなく走っている。きっと飛び込んでいたら、大惨事になっていただろう。ニュースになっていたかもしれない。硬い鉄の塊に身を打ち、さらにアスファルトに打ち付けられたとしたら…考えるだけでも恐ろしくなる。

 

「冷静になれた?」

 

その問いに軽く顎先を沈める。すると、彼はこう続けた。

 

「んで、予定は?」

 

首を横に軽く振ると、彼は腕を掴んだまま渋谷の街を歩み始めた。自分のファンと名乗る正体不明の男性に腕を引かれたまま、行き先も分からぬまま連れて歩かれるなんて普通に考えれば狂気の沙汰だ。それでも、自分の起こしかけた出来事と現在進行形の非現実的な出来事とで頭の中が混乱し、思考回路が止まっているのか。それとも、得体の知れない人間が何か解決へと導いてくれるのではないかという淡い期待からなのか。私は腕を振り払いもしなければ、脚を止めることすらしなかった。

 

およそ5分歩き、裏路地にあるカフェへと入る。そこは打ち合わせなどでもよく使う馴染の店だった。腕を掴んだままだと不自然だったと感じたのか、店内へ入る直前に彼は腕を離した。店員に案内された席に座ると、歩いている最中に一言も発さなかった彼が口を開く。

 

「危機管理能力、無い人なの?」

 

声を掛けられた時とは違い、ニヒルな笑みを含んだ声。顔からも厳しさはとうに消えている。表情が変わると途端に印象が変わる人らしい。その変貌に驚きつつ、どこかでは安心感を覚えた。

 

「あるわよ、それなりに」

 

「なら良かった」

 

店員を呼び、注文を伝える。彼は顔が特別整っているわけではないが、大きな瞳と薄く綺麗な形の唇が印象的だ。黒髪と黒で纏められた服装のせいか、白い肌がさらに際立つ。よく見れば、手も大きく指も長い。トータルすると、「モテそうだな」という印象が強い。

 

「さっきまで警戒してたくせにジロジロ見ないでくれよ」

 

「今も警戒してる」

 

「あ、そう」

 

別に男性への免疫が無い訳じゃないが、自称ファン、初対面、何よりも久しぶりに人と対面しているのもあって、変な汗をかいている。何か喋ろうとしても、上手く言葉を纏められない。彼に向けていた視線を自分の膝に落とす。

 

「無理に話さなくてもいいよ。俺が勝手に話すから聞いてて」

 

店員が注文したカプチーノとホットコーヒーを置いて行く。彼はホットコーヒーを一口飲むと、流暢に喋り始めた。

 

「名前は、透和(とわ)。年齢は、23」

 

「えっ」

 

自分よりいくつか年下だと思っていた彼が自分と同い年だった事実に思わず声を上げてしまった。彼はクスリと笑う。

 

「幼いとはよく言われる。仕事はあなたと同じくフリーランス。細かなことは追々ね。さっき言ったけど、あなたのファン。しかも、書き始めた時からね」

 

「そうだったんだ…ありがとう。でも、ネット上の私と今の私との落差、酷いでしょ」

 

病院へ行くだけ、最低限しか整えていない身なり。化粧はしてないし、髪もセットしていない。それよりも、明らかに雰囲気も暗く、顔色も悪い。とてもじゃないけれど、目が当てられない姿だ。特に男性相手となると、コンディションは最悪だった。

 

「最近、明らかにTwitterの投稿数も減ったし、あっても内容に勢いが無かったから別に驚きはしないね。それでもって、あそこで会ったんだから合点いった」

 

“あそこ”とは、心療内科を指しているのだろう。私だって、まさか自分のフォロワーとあの場所で会ってしまうなんて夢にも思っていなかったし、「ファン」と言われた瞬間、世界が崩れ落ちる感覚にまで陥ったのだから。柔和な表情を浮かべている彼に、ふと疑問が浮かぶ。

 

「…透和くんは何であそこにいたの?」