第四回「STOP! 焼畑農業」

 

MMR(メレ山ミステリー調査班)の調べによれば、世の中には2種類の人間が存在している。交際相手だった人と友達でい続けられる人間と、交際相手だった人と別れたら完全に縁が切れる人間である。

ある日、飲み会で「元恋人との関係が今も良好か」という話になった。これまでにつきあった人が複数いればケースバイケースでもよさそうなところ、これが意外と人によって真っ二つになるのだ。

友人のひとりは「今まで付き合った人とはみんな、穏便に別れたし今もいい関係」と言い切った。ハァァ……やっぱり人間ができている……と感嘆する。

ちなみにわたしは、完全に縁が切れるほうだ。

 

世の中には「焼けぼっくいに火がつく」という現象がわずかながら存在するらしい。想像してみて「一度口に入れてぐちゃぐちゃになったものを口から出してまた食べるくらい無理……」と言ってしまったことがある。

おいしいものをぐちゃぐちゃに噛むのは喜びのはずなのに、いったん口から出すと生理的に無理になってしまうのはなんでだろう。無理でなかったものを無理にしてしまったのは自分の歯と唾液なわけで、汚いのはつまりは自分ということにならないか。でも、もし砂漠でほかに食べものがなくてものすごく餓えていたらぐちゃぐちゃにも手を出してしまう、その程度には無理ではないとも言えるかもしれない。

自分の中での忌避感をうまく表現できたことには満足だが、元恋人と復縁したことがある人にとっては腹が立つ喩えになってしまったと思う。もしかしたら「なんでや! 一度口に入れてぐちゃぐちゃになった食べもの最高やないか!」とお怒りの向きもあるかもしれない。わたしだって付き合っている最中なら、いい思い出はテープがすり切れるほど反芻するが、別れはすべてを反転させてしまう。

 

復縁までいかないにしても、元恋人とも関係良好でいられたら、いられないよりは人生お得な気がする。「わたしは人間できてないから無理だわ……」と肩を落としたが、「それは違う! 少なくともわたしは優しすぎるからこそ、もう友達には戻れないのだ!」と主張する女友達もいる。

彼女はぱっと見には自由奔放そうで一種のカリスマ性があり、非常にモテるのだが、内心ではすごく気を遣っている。相手を否定することには強いストレスを感じ、好意のストックを使いきって同じ空気を吸うのも限界になるまで我慢を続けてしまうからこそ、別れ話を切り出すころには「何をどうしようがもう絶対に無理」という状態になっているのだという。

言っていることはそのとおりだが、ぱっと見で我慢しているように見えないので、気持ちが離れていることにまったく気づけない相手の人も不憫だ。外資系金融とかであるという、内々に人事査定が進んで、お昼休みにランチから戻ったら自分のIDカードをピッとしてもオフィスに入れなくなっている系のヤツだ。「悪いところあるなら直すから」と口走っても後の祭りである。まあ、「悪いところあるなら直すから」と口走ることになる場合というのはたいてい極限まで詰んでいて、悪いところが直ったケースもあんまり見たことないけど。

 

別れ話が悪いところの指摘になってしまったら、もうダメだと思う。

「嫌いになったわけではないが別れたい」と言ったら「なんで嫌いじゃないなら別れないといけないのか。自分はそんなに悪い恋人じゃなかったと思う」と言われ、「いやいや、これこれこういう悪いところその1とその2とその3をいくら言っても直してくれなかったじゃん」と思わず口走ったら「やっぱり嫌いになったんじゃないか! 嘘をつくな!」と怒られたことがある。たった2ターン目で、傷つけないようにするという本来の目的を忘れ、相手の論破に走ってしまった自分のこらえ性のなさに乾杯だ。

人のことは言えない。自分が別れを切り出されるほうになっても、フェードアウトされているのを感じたら「誠実じゃない」と思うけれど、はっきり言われたら言われたでやっぱり腹が立つ。自分の山より高いプライドが、NOを言うときも言われるときも人間関係を破壊に導く。円満に別れるスキルをお持ちの方は、ぜひとも別れのやりとりを後学のために見せてほしいものだ。

 

MMRはさらに、友達に戻れる・戻れないの分水嶺は、別れが険悪だったかどうか以外にもあるのではないか、との仮説を検証中である。「そもそも付き合う前に友達期間がなかった」というパターンだ。

友達に「チョロ山」と蔑称で呼ばれる程度には惚れっぽいメレ山(第2回「21文字でダメだった」参照https://napoleon5.com/?p=1347)。これまで、振り返れば人を好きになると「人生にゆっくりしている暇はない! とりあえず好意は隠さずに接触してみよう!」と近づいていき、いざ脈があると「ウワーッ! なんか付き合えそう! 好きだ!!」となって、相手さえウェルカムであれば付き合うときにはわりとトントン拍子で成約してしまっていた。

友達に戻ろうにも、戻る場所がなければ迷うに決まっている。通常はもっとじっくり時間をかけて自分との相性を見極めたり、関係を育てたりするのだろう。しかし、「なんかこの人自分のこと好きなのかな……気持ち悪いけどはっきり言われてないのに断るのも……」と思われてしまったら耐えがたいから、好きになりすぎる前に自分にとどめを刺しておきたいのだ。

そうやって清水の舞台から何度か飛び下りて、うまいこといったり全然ダメだったりしてきた。だが、うまいこといっても最終的になにかぐちゃぐちゃしたもののイメージしか残らないというのは、さすがに人とのつきあい方に問題がありすぎる。

 

人間関係の焼畑農業。あまりにもエコに反している。いいなと思った人が不毛の地になってしまうくらいなら、この森に手をふれず、豊かな生態系ごと保全したい。SAVE THE EARTH…とWWF(世界自然保護基金)のパンダみたいな顔でつぶやく日々だ。

バンクシアという植物をご存じだろうか。オーストラリアの乾燥地帯に育つ植物で、松ぼっくりに似た巨大な実をつける。生息地域では山火事災害が多く発生するが、バンクシアは山火事に適応しており、火に反応して果実を裂開させる。火事を味方につけて世代を更新し、焼け野原となった大地でいち早く日光を独占するのだそうだ。

「こんな(人を好きになってつらい)思いをするのなら花や草に生まれたかった」というインターネット名言があるが、植物だってエグいくらいの戦略でピンチをチャンスに変えている。わたしも何かを見習って奇怪な実を結実させたいと思い、最近は「好きにならず、ただ推していればよいのではないか?」などの思考実験を続けている。現在の研究テーマである「片思いをひとりで完結するエンタメに昇華させることはできないのか」については、回をあらためて考えてみたい。

 

 

 

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