第五回「遠赤外線秋波」

複数の猫と暮らす機会があると、猫にもそれぞれの性格と愛情表現があることがわかってくる。

子供のころ、実家で飼っていた猫の「ひじき」は、おでこをぶつけて挨拶するのが好きだった。家の庭でしゃがんで待っていると、のそのそ歩いてきてこちらの額におでこをゴンと当ててくる。ぶつかったところから、熱い親愛の情が胸にかけてじんわりと流れこむ。こんなに人間とかけ離れた、小さくて毛がみっしり生えた生きものと完全なコミュニケーションが成立しているなんて奇跡だ! としずかに感動していた。

人間ともそんな風に相思相愛でいられたらいいけれど、そばにいるだけであたたかい気持ちが流れこんでくるような時間は、猫とのそれほど完璧でも長くもない。

 

女友達のAちゃんが人生ではじめて女の人と付き合うことになったとき、相手はもともと自覚的に女性を恋愛対象としている人だったのだが、Aちゃんはそのことを知らなかった。

「ふたりでいるとやたらとドキドキするから、同性なのに不思議だな、自分だけがこんな気持ちなんだと思ってた。あとから好きだって言われたとき、あんなにドキドキしたのは“恋愛の空気”を向こうも出してたんだと思った!」

と聞かされたときは、いたく感心したものだ。

そういえば、同期の男に「あっちこっち粉をかけて何が楽しいんだ」と言ったとき、彼には「粉をかける=女性を口説く」という語彙がなかったので「粉をかけるってどういう意味? 何色の粉? ピンク色?」と言っていて、分かってないなりに合ってるのが妙に面白かったことがある。

遊び人を自称する彼のピンク色の粉は、なんだか服についたら落ちなさそうで嫌だ。チャットやメールやデートのお誘いで10人にピンクの粉をかけて、5人がクシャミをして4人が喘息になっても、残るひとりが引っかかってくればいいみたいな迷惑きわまりないスタイル。

 

Aちゃんが好きになった女の人は、たぶん最初は言葉でもスキンシップでもなく、熱っぽい視線とか、口調やわずかな表情の動きだけで好きな気持ちを伝えて「わたしだけがこんなドキドキしてるんだ」とまで相手に思わせていた。もはや、愛情の遠赤外線効果。

そういうものを「秋波」と呼んでもいいのかもしれない。一般的には「秋波を送る」というとねっとりしたイメージだけれど、辞書で調べてみたらもともとは中国語で「秋の澄み切った水の波」のことなんだそうだ。きれいな女性の涼やかな目元を表す言葉が転じて、流し目や色目といった媚びの表現に使われるようになっていったらしい。

婚姻色の紅に染まった鮭が遡上する豊かな流れのような、ススキやワレモコウやリンドウに彩られた草原を渡る風のような、そんな透明な思いを相手に届けてさらに意識させられたら、人の子が持てる最高の強制力を手にしたと言える。好きな人の脳をそれとは気取らせず狂わせる、これがモテの力だったのか。

ずるい。わたしはだれか好きになっても、食虫植物モウセンゴケみたいなトリモチ状の粘液しか出せなくて、いやこんなバッチイものを好きな人にくっつけるわけにはいかんやろ……と思っているうちに自分の手足がベッタベタになってきて途方に暮れているというのに! 許さん!!

 

秋波はうまく届かないわりに、潮のように引いていくときはよく見える。

この人、出会ったころは砂漠で泉に出会ったみたいな目でこっち見てませんでしたっけ。いっしょにいてもまだ足りないって飢餓感と喜びが伝わってきたのになあ、と思いながら、自分にもそこまでの気持ちが残ってないことに気づく。なんでこんなことだけ、言わなくても伝わってしまうのだろう。

人間じゃなくて動物でいいから、まじりけのない好意を交換したい。子供のころみたいに猫と暮らして額をゴッツンコしたいなあ、柴犬に全身で喜びを表現されるのも悪くない、と夢を見つつ、動物の命を預かるのは恋愛の比じゃなく重たい。文鳥なんて最高に感情表現が細やかでかわいいけれど、拘束の激しさは人でいえば完全にメンタルヘルスが地獄のレベルだ。

 

「片思いをひとりで完結するエンタメに昇華させることはできないのか」について考えている、と前回書いたが、片思いのつらさの多くは「好意を気持ち悪いと思われることへの恐怖」だったりする。伝わっているから隠す必要もない、受け入れられないから終わる悲しみもない片思い状態がもしあったら、それってけっこう理想の状態に近くないだろうか。わたしが濁って粘った秋波しか出せないなら、相手が無効化してくれればいいじゃん!

好意は完全にバレていて、向こうはわたしと付き合うつもりはないが、人としてはそこそこ認めて遠ざけずに接してくれる。ごはんを食べたり遊びに行ったり、たまにまじめな話もする。それでいてぜんぜん好意を歯牙にかけていなくて「フーン、メレ子さんってぼくのこういうところが好きなんですね。でもぼく的には、メレ子さんとはワンチャンないんですよね。ぼくは○○さんのような人が好きなんで」とかニコニコしながら言うのだ。

「こういうのってどうですかね?!」と、恋愛の不毛さに疲れつつある知り合いに嬉々としてプレゼンしてみたら、「分からなくはないけど、それはメレ山がそういうサディストが好きなだけでわたしの好みとは違う。あと、他人から受けた好意を気まずくならず足で踏まえて享受しながら、人としてはまともに扱ってくれるちょうどいいサイコパスを探すのは、普通に恋人を見つけるのよりもだいぶ難しい」と回答された。正しすぎてぐうの音も出ない。そもそも、自分にとって都合のいい相手を妄想してるだけで、ぜんぜんひとりで完結してなかった。

いま神様が目の前に現れて、なにかひとつの超能力を授けてくれるとしたら、「透明な秋波で自分に片思いさせる能力」か「動物にひとしく懐かれる能力」のどっちかを選ぶ。いや、そのどちらかだったら迷うけどたぶん後者を選ぶ。自分を変えることでなにかを解決するつもりがない分、ある日訪れるラッキーチャンスにそなえて欲望を研ぎ澄ませておきたい。わたしはいつだって、その準備ができている。

 

 

 

 

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