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第九回 「カルーセルフランセの一皿:5ユーロ」

 

昨年の秋、二週間ほどパリに滞在していた。計画時点では優雅な休暇のはずが、結果的に仕事がついて回る旅だった。深夜出発早朝到着のレッドアイ便で宿へ転がり込んですぐ爆睡、連日ジレジョーヌ(黄色いベスト)のデモ報道とグズつく天気を眺めながら部屋でだらだら過ごす時間も長く、郊外へ足を伸ばす予定は頓挫。日中はよく働いて、時差の都合で徹夜作業までしたものだから、体調も終始万全とはいえない。

 

なにしろ到着二日目の午前中からいきなり中華を食べていた。辿り着いただけでぐったり疲れ、「コンチネンタルブレックファスト! からの! デジュネでじゅね!」みたいなハイテンションに持っていくことができない。冷たい朝食もガッツリした昼食も勘弁してくれ、胃に負担がなく脳に馴染みのある、あたたかい汁ものを少しだけ食べたい……と宿から至近の商店街をさまよい歩き、しょうゆ味の雲呑麺を啜ることで一命を取りとめた。

 

せっかくのパリなのに、と思う向きもあるだろうが、こちらもいいかげん40歳手前、おフランスに降り立ったからといって途端に毎日フレンチのフルコースを飲み食いして立派に消化するような元気もない。そしてさすがパリ、ビストロに負けず劣らず、ちょっとしたエスニック料理屋だってどこも大変クオリティが高いのだ。タイ料理や台湾料理なども美味しかった。

 

さて、昼間から老舗のイタリアンを訪れ、調子こいてビーフカルパッチョとクリームソースこってりのパスタを注文したらすごい量が来て身動き取れなくなるまで腹一杯、午後は万歩計アプリを片手に頑張ってオルセー美術館の中を歩き回ってみたものの、満腹のところへ大混雑による酸欠状態も加わって、胸を打つ名画の素晴らしさとはまるで関係なく途中から眠くて眠くて立ったまま意識を失いかけた、ある日のこと。

 

これはもう、食べすぎにもほどがある我々の胃袋にまともな晩餐を摂取する余裕は残されていないのではないか、と同行者が見つけてきたのが、「Carrousel Français」だった。レアル地区に新しくできた、小皿料理がちょこちょこつまめる評判のよいワインバーだという。なんとなく薄暗くて全体が黒光りしているモダンな内装、足を踏み入れるまで、店名の意味に気づかなかった。

 

 

 

Carrousel Français、カルーセルフランセ。フランス風カルーセル。メリーゴーラウンドや空港の手荷物受取場のような、回転するアレ。というわけで、店内には12メートルにわたるガラス台が横たわり、その上を小皿がゆっくりと絶え間なく周回移動している。客はテーブルから手を伸ばしてそれぞれに好きな皿を取って食べる仕組みで、減った分だけオープンキッチンから補充され、取り残された皿は何周も台の上をループし続ける。

 

そう、回転寿司。ここはフランス版の回転寿司屋なのである。背面に取り付けられた磁石ですいすい台を滑っていく皿に盛り付けられているのは、シャリとネタではなく、チーズかシャルキュトリ。その合間に、お口直しとしてプチガトー盛り合わせも挟まれる。コハダとイクラと中トロの合間にカップのプリンが流れてくる日本の回転寿司屋と同じである。冷菜を肴に酒を飲む店だが、火の通ったメニューも何かしら注文できるようで、それも、あら汁や焼き魚を別途注文する日本の回転寿司屋と同じである。

 

値段は一律、一皿5ユーロ(約630円)だった。回転寿司なら一番高価な「金の皿」だけ回ってくる感じか。とはいえ、よその「回らない」シャルキュトリ屋でおまかせ三点盛りを頼むと時価20ユーロすることもあるから、一種類ずつ三皿をちびちび食べて15ユーロは、そう割高でもない。ユニークな発想、アトラクション的な娯楽性といった付加価値と、ちょうど相殺されるだろう。

 

半球型のクリアケースを被せられた、搭乗員の透けた小さなUFOみたいな皿がおとなしく行進してくる。パッと見た印象だけを頼りに、そのうち一つを選んで磁石の台座から引きはがす。何の肉でどこの部位だとか、どの地方の名産でどんな獣の乳を使ったチーズだとか、いっさい考えない。知らん。外見の好みだけで「近う寄れ」である。

 

今までパリで食事をするたび、地味にくたびれていたんだな、と実感した。一昔前と違って英語メニューを用意している飲食店が増えたけれど、ウエイターは英語を話したり話さなかったりで、注文前に料理内容を細かく質問できないし、届いてからの行き違いも多い。普段住んでいるニューヨークより表示価格がちょっと安く、一皿の盛りがちょっと多く、つまり、いつもの感覚だと食べすぎる。ワインリストの選択肢はおそろしく多く、説明を聞けば聞くほど、どれがどれやら途方に暮れる。

 

何でもいいからフィーリングでおいしそうなやつ選んで深く考えずに食べたい! という潜在的欲求が、胸の底へ静かに沈殿していたことを思い知った。メニューを読んでも実態がピンと来ないこじゃれた店と違って、回転寿司方式なら見たままを選べる。ワインリストも味の概要がアイコンで示されているので情報弱者に優しい。心身ともに疲れ果て、胃もたれ気味の我々にとって、雲呑麺とは別の意味でホッとする店だった。

 

少しズッコケたのは、店長と思しき男が「日本人か?」と英語で話しかけてきて、中村江里子と辻仁成がNHKの番組ロケで来店した際の動画を自慢してきたことだ。芸能人の記念写真やサイン色紙を飾っている日本の回転寿司屋と同じである。そんなところまで真似しなくていいのに。ところが少し不安げな表情で「この二人、本国では人気者なんだろう……?」と尋ねてくるので、「めっちゃ人気、大人気、日本で知らぬ者はない、この二人が来たなら大繁盛間違いなし! すごいすごーい!」と我ながらリップサービス多めにはしゃいでから店を出た。

 

こういう余計な気を回すから、いちいち疲れるのである。翌日の昼もぐったりして、餃子専門店で胃に優しい薄味の水餃子を食べた。

 

 

 

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