第六回「ヒゲとボインと潮騒と」

 

僕のデスクのとなりの 痩せてるくせにボインは

花見の時にキスして それから何もない

 

ユニコーンの「ヒゲとボイン」の歌詞なのだが、冒頭のこのフレーズを見るたびにわたしは「そうなんだよなァッ!!」と頭を抱え、脳内に広がる芝生の上をどこまでもゴロゴロと転がっていってしまう。

 

上野公園だか井の頭公園だか知らんが、桜が白くもくもくに咲いて人でごったがえす公園で、ブルーシートから容赦なく伝わる地面の冷たさを紛らわすために多めにお酒を飲んで、大行列だったトイレからの帰り道で、前から気になっていた女の子といっしょになる。すぐにみんなのところに戻らずに「人多いですよね~」とか木陰で話して、なりゆきでキスする。

ここで話は脱線するけれど、恋バナとかを聞いていて話が日常パートから「なりゆきで」恋愛的瞬間になったとき、「なりゆきとは??? 今どうやって成り、どのように行った?そこんとこをもうちょっと詳しく……」という気持ちになりがちだ。しかし、友達に詳細に聞くのはさすがに憚られる。

めちゃくちゃ絵の上手い人が絵の描き方をツイッターとかで段階的に図解してくれるときもそう! ①まずはアタリを取ります(うんうん)②描きこんでいきます(あれっ? ①から②の間、光速でステップアップしなかった?)ってなるから! そこが知りたいんだよ!

そもそもブルーシートを敷いてやるお花見は、楽しいこと自体がまれだ。桜の季節って、目には春を感じるけれど地べたに長時間座っているには寒すぎる。桜は美しいのに地面は酔っ払いと吐瀉物とそれをつつくカラスとハトであふれ、ブルーシートの色は悪趣味ここに極まれり。しかも、いっしょにいるのは仕事の人たち。

とにかくなりゆきでキスしたわけだが、それから何もなかった。会社のお花見なんかほっといて、ふたりで抜け出さなかったのだろうか。「……そろそろみんなのとこに戻ろうか」って言っちゃったのかな?

 

いずれにしてもだ。A地点.「まだ何もない」とB地点.「花見のときにキスしてそれから何もない」の間には、何光年もの隔たりがある。A地点からは無限の可能性が広がっているように見えるが、B地点にはそのときしか開かなかった、全力で押さないと開けたままにしておけなかった門があって、いまや死んだ道が横たわっている。

彼がキスのことを切なく反芻しているあいだに、ボインの彼女の中ではすっかり「あのときはなりゆきで(=貴重な休日が会社に浸食されているという状態が耐え難かったので、とりあえず恋愛的瞬間をぶち込みたくなって)キスしちゃったけど、どうも酔ってうっかりしてたなぁ」ということになって、たぶん彼につながる扉をバーナーで溶接しているところだ。

いっときの気の迷いをたしかな関係にしたければ、劣勢なほうがタイミングを逃さず超がんばるしかない。

 

こんな短いフレーズで、自信がなくて悶々としてる若者のイメージをありありと描いてしまう奥田民生がこわい。きっと奥田民生はモテまくっているだろうな……と、脳内芝生でバサバサになった髪から、芝草のかけらや虫の死骸をふりおとしながら考える。

ふたりの間に起きたちょっとしたできごとを、片方はまるでセーブポイントのように心であたためているけれど、もう片方の心中では完全にゲームオーバーになっている。恋愛においてはよくあるすれ違いだ。

そもそも挑むに値するゲームだったかどうかは、また別の問題ではある。わたしはゲームの予感があると妙にエキサイトしてしまい、エントリーする意味をよく考えずに走りだしてしまって、後から何をがんばっていたのかよくわからなくなることが多い。

 

大学生のとき、Aさんが友達のBさんに「メレ山のことは憎からず思っているけれど、なかなかうまくいかないですね」と話してるのを聞いてしまった。わたしはこのイベントを胸にしまっておけず、後日Bさんにだけ、こう話してしまった。

「すみません、立ち聞きしちゃいました。なかなかうまくいかないも何も、口説かれた覚えがないんですよね……」

わたしとしては話はそこでおしまいのつもりだったが、Bさんはそれを「口説いたらうまくいく」という意味だととらえ、Aさんに「メレ山に気持ちがバレている! いまこそ決戦のとき!」とご注進してしまった。

Aさんは「あのとき聞いてたらしいじゃん」と電話をしてきて、困ったことになった。苦しまぎれにまた「いや、ですからAさんに直接好きって言われたこともないですし……」と言うと、Aさんは「そうか……じゃあ……好きです!」と言ってくれた。言ってくれたのはいいのだが、“じゃあ”ってなんだ。“じゃあ”ってなんだよー!

結局この「“じゃあ”ってなんだ」という気持ちが日に日に蓄積し、Aさんにはお断りしてしまったのだが、Bさんやその友達にしこたま怒られた。当時はなんで周囲が勝手に盛り上がった末にわたしが怒られているのか、これこそ理不尽の極みだと思った(正直、今でも思っている)。

が、思い返せば自分のスケベ心に自分で足をすくわれた感がすごい。Aさんは見た目も素敵だし趣味もいいし、女性に押しが弱いところを除けば条件的に申し分のない人だった。「もっとガンガン来てくれたら好きになるかもしれないのになあ」という下心があったから、Bさんに気づいていることを黙っておけなかったし、Aさんにも「好きって言われたことないし」とか言っちゃったんだと思う。おかげで、仲良く三方一両損になった。

 

当時、文学部の友達にその話を愚痴ったら「『その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら』って言ったら、消火器で火を消されたみたいな話だね!」という文学的な感想を述べていた。三島由紀夫の小説『潮騒』である。ヒロインが焚き火を挟んで、好きな人を挑発するシーンだ。

当時、わたしは自分という人間のことがまったく分かっていなかった。火を飛び越したいサイドの人間が、他人に「その火を飛び越して来い」と言うべきではないのである。

 

気づけば脳内の草原に日は落ちて、夜空にヒゲとボインと焚き火のイメージが浮かんでいる。これからの人生で、我を忘れて火を飛び越えることってまだあるのかなー。わたしはそう思いながら、ぐるぐる回るヒゲとボインと焚き火を口を開けて眺めているのである。

 

 

 

 

ナポレオンのメルマガに登録しよう!