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第十回 「Dominique Picquierのバッグ:時価」

 

24歳の春、就職前の卒業旅行で初めてヨーロッパを旅行したとき、Dominique Picquierで小さなカバンを二つ買った。ドミニク・ピキエは、パリのテキスタイルデザイナー。狩猟自然博物館の裏手にブティックを構え、主に植物をモチーフにしたオリジナルの壁紙やホームファブリック、布小物やカバンなどを商っている。

 

イチョウの紋を掲げた店内は横に長くて薄暗く、片言の英語しか話さない無愛想な女性が一人で店番をしていて、これぞパリジェンヌと言いたくなるほど見事な塩対応をかましてくれた。私以外に客のない店内、一対一で冷ややかな視線に焦りながら、何を買うか一時間以上悩んだ気がする。革の持ち手がつくタイプは値段が跳ね上がるので、布の持ち手にした。正確な合計価格は憶えていないが、同じマレ地区にとったボロボロの安宿、三泊分の宿代より高かったはずだ。

 

買ったうち一つ、派手な花柄の布カバンを、新卒社会人となった私は通勤に使った。マチが広いのは便利だが、手提げなので肩から掛けられないし、A4サイズの書類は盛大にハミ出すし、手帳とハードカバーの単行本を入れたら化粧ポーチが入らない。明らかに通勤に向いていない。満員電車、ロケ取材現場、紫煙たちこめる宴席、連日酷使しているうちに底面の四隅から布が綻びて、全体の色もみるみるくすんでしまった。それでも、かわいいカバンに重い荷物をぎゅうぎゅう詰め込んで、うきうき出勤した。

 

2000年代初頭、このブランドは局地的にちょっとした流行となっていた。女性誌のパリ特集にはしょっちゅう載っていたし、日本国内に直の取り扱い店舗もあったかもしれない。東京で知り合ったおしゃれな人々に、「そのイチョウのロゴ、あのパリのやつでしょ?」と目ざとく見つけられるのが誇らしかった。他にもたくさんの服を買い靴を買いカバンを買い、その大半をボロボロに使い古して手放してきたが、Dominique Picquierの二つのカバンは今も大事に、現役で使っている。持ち歩く機会こそ減ったものの、クローゼットを開けて視界に入るたびに気分が上がる。たまに外へ連れ出して誰かに褒められると「これ、もう15年も前に買ったものなの!」と自慢する。

 

あれからそんなに長い歳月が経ったなんて信じられない。当時の私は若く、15年も先の未来のことなんて考えられなかった。まさか15年後にパリを再訪するとも思っていなかったし、同じ店で同じように買い物する自分の姿だって想像できなかった。2018年秋に再訪したDominique Picquierのブティックは、まったく同じイチョウの紋を掲げ、相変わらず横に長く、薄暗く、平日昼間には誰も客がいなかった。同一人物では有り得ないけれど、でも15年前と非常によく似た化粧っ気がないパリジェンヌ、英語をほとんど話さない無愛想な若い女性が、まったく同じ佇まいで店番をしている。

 

変わったのは、私のほうだ。ざっと店内を見回し、店番に一声かけたらディスプレイ下の什器に格納された在庫をほとんど全部引っ張り出す。相変わらず安くはない、革製品にはやっぱり手が伸びない。それでも表に出ている布の持ち手のカバンをすべて検分し、まるで接客する気のない店員を呼びつけた。「これと同じ型の、柄違いの在庫、あるだけ全部持ってきて!」……15年でずいぶん面の皮が厚くなったものだ。

 

マジか、と顔を曇らせた若い女子は、それでも地下倉庫からありったけの商品を抱えてきてくれた。冷やかしの客じゃないとわかってからは、塩対応も多少は和らぐ。ひとかかえある什器いっぱいに詰め込まれた商品を、倉庫からむき出しで運び込まれた商品を、全部並べて選抜していく。

 

 

壁紙や家具に使う布の余りを裁断して加工しているから、同じ型、同じ柄の小物でも一つ一つ表情が違い、二つと同じ商品はない。布の取られ方次第では、大ぶりの素敵な図案が殺されて何が何やらわからず、激烈に野暮ったく見えたりもする。だが、それがいい。本当はカバンや財布になる予定のなかったテキスタイルが、計画外にうっかり小物に仕立てられ、結果として奇跡的なバランスでかわいく見える。そこに宝探しの楽しみがある。そこに、マスな顧客層へ向けて幅広く刺さるよう計算された類似のブランドとは似て非なる、狭くて深い、細かくて伝わりづらい、私だけのツボがあるのだ。

 

小一時間かけてすべての在庫をさらい、流水紋の縦型手提げと、デンプンのヨウ素反応みたいな青い柄のポシェットに決めた。二つでだいたい250ユーロ(約31500円)。今回も正確な値段がわからないのは、最後の最後に店員が端数をディスカウントしてくれたからだった。セール期間中でもなければ、値切ったわけでもない。意思疎通も難しい店番による、まったく理由のない謎割引だ。「おまえにゃ負けたよ」と白旗を掲げてくれたのかもしれない。

 

去り際に、その子が「Au revoir, Madame.」と言った。あーそうなー、15年前とは違う私、もうマドモワゼルじゃないんだな。けっこう好き、とか、ちょっと興味ある、とか、なんか流行ってるっぽい、とか、こんなの初めて〜、といった理由で買うものが減った代わり、本当に好き、心底好き、同じものをもっとくれ、と言えるアイテムを買いに、はるばるパリまで飛んできたのだから。

 

4歳のときに欲しくてたまらなかったものを、19歳になってまだまだ欲しいと思ったことがあるだろうか。14歳のときに買ってもらったものを、29歳になってまた買いたいと思うことは? どちらもうまく思い出せない。大好物のお菓子や、ものすごく書き心地のいいボールペンといったものならまだしも想像がつくが、それ以外は大半、15年も経てば情熱は失われてしまう。そして流行も廃れる。「あそこのですね!」とよく言われたカバンも、今は「どこのですか?」と訊かれるようになった。

 

けれども、24歳のとき自分のお金で買ったものが、39歳になっても依然として輝きを失わないということは、ある。一つ二つあって大満足していたものを、三つ四つと欲しくなることだってある。15年も経ったのに。15年経ったからこそ。ひょっとして、これが大人になるということだろうか。心身の成長に合わせて目まぐるしく趣味嗜好が変わった少女時代と違い、もっと穏やかな時の流れを生きるようになる。きっと69歳になっても109歳になってもずっと好きなままでいられる、そんなお気に入りの品だけに囲まれて生きるようになる。

 

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