第13回 「さぞ、セックスがお上手なんでしょうね」

ぼく、ヒモックマ。

 

女に養ってもらっている白クマの男の子だよ。

 

ヒモの話になると、どうしても切り離せないのが、性にまつわる話題

 


お金を渡してでも、繋ぎ止めておきたいくらいだから「さぞ、セックスがお上手なんでしょうね」なんて、よく言われます。

 

そんな皮肉を聞く度に「あー、こいつ、なんもわかってねえーなー」とゲンナリ。

 

いい機会なので、セックスについて論じさせてください。

 

……おっと、青少年も読んでいるかもしれないのにセックスと連呼しすぎてしまいましたね。

 

以降、セックスのことは「セッセセ」と表記します。

 


そもそも、セッセセに上手も下手もないと思うんですよね。

 

「俺、上手いよ」とか「アイツ、下手だった」とか言っているうちは、なーんにもわかっちゃいないほぼ童貞だと思うんです。

 

決して「童貞が悪い」と言っているわけではなくて、にわかファンなのに、そのジャンルのことをなんでも知っているかのようにしゃべるのはダサいよねという話。

 

セッセセにあるのは上手か下手かではないのなら、じゃあ、そこには何があるのかというと「相手のことを思いやる気持ちがあるかないか」のみ。

 

ただそれだけがそこに存在している、とぼくは思います。

 

 

当たり前の話ですが、人間が100人いれば、100通りの人生があるわけです。

 

価値観や趣味嗜好など、何もかもが全く同じ人間なんていない。

 

それなのに、セッセセの話になると、「女はこうされたら喜ぶ」とか「ここをこうすると潮を吹く」とか、なぜか、みんな、量産された既製品かのように語り出しますよね。

 

おかしいと思いませんか?

 

お尻を叩かれるのが好きな人もいれば、叩かれたら怒る人もいるわけだし、ツバを吐きかけられたら大興奮する人もいれば、首を絞められながらじゃないとイけない人もいる。

 

そんないろんな性癖を持った人たちが、同じ「セッセセ」というバトルフィールドで戦うんですよ?

 

毎回、何が起こるかわからない大乱闘セッセセブラザーズなのに、「俺っち、上手いッスよ」って豪語するのは滑稽だと思いませんか?

 

絶対に、真っ先に殺されるやつですよね、そんなやつ。

 

 

つまり、セッセセを上手か下手かで語りたがるやつは、自分のことしか見えていないと思うんです。

 

だって、上手か下手かを決めるのは、こちらではなくて、相手が決めることだから。

 

そりゃ1回は、バチーンとハマる相手がいたのだと思います。

 

その子に「ハァハァハァ…すごかった…ハァハァハァ…」と言われたことでしょう。

 

でも、それはその子との相性がたまたまよかっただけかもしれない…

 

その日、たまたま、そういうセッセセがしたい気分だっただけかもしれない…

 

そうやって、決して驕らずに、謙虚な気持ちで向き合った先にしか、本当に気持ちいいセッセセはありません。

 

セッセセは、相手との究極の信頼関係の上に成り立つ行為。

 

だからこそ「相手のことを思いやる気持ち」が、一番大切なオトナのおもちゃなのです。

 

 

では、セッセセにおいて「相手のことを思いやる気持ち」って結局、何なのでしょうか?

 

それは「どうすれば相手は気持ちよくなるのだろう?」ということを徹底的に考えることに尽きます。

 

一流の料理人が、お米の品種や、状態、その日の気温によって、炊き方を変えるかの如く、ひたすら相手の声、反応、コンデションを見極めて動きましょう。

 

毎回、ピロートークで今の一戦はどうだったか反省会するのもいいでしょう。

 

日常の何気ない会話からでも、「ああっ、たぶん、この子はビンタされるのが好きなんだろうな」といったことも読み取れます。

 

つまり、セッセセで相手を満足させてあげたいなら、しっかりヒアリングしましょうねということです。

 

相手に「下手だね」と言われてしまうような質素なセッセセ(=シッセセ)をしちゃうのは、しっかり相手と向き合ってヒアリングできてないからです。

 

自信がないのなら、正直に「どういうのが好きなの?」「どこを責められたら感じるの?」と質問してみましょう。

 

(一応、言っておきますが、上記の質問は恋人同士だから成立します。会社の後輩や部下に投げかけたら、セクハラを通り越して、現代社会で一番トガったロッケンロールになってしまうのでやめましょう)

 

「でも、そんなストレートに質問するのって野暮じゃない?」「言わなくても空気で感じ取ってよ」というご意見もあるでしょう。わかります。

 

本当は、そんな話し合いがなくても、相手の反応を見ながら、微調整していくのが、熟練されたセッセセなわけですが、みんながみんな、そんなことができるわけではない。

 

だからこそ毎回、1年生のつもりで「先輩の膣(ちつ)お借りします! 押忍!」の精神で取り組むべきだと、ぼくは思います。

 

 

ヒモになるために、セッセセの上手さは必要ありません。

 

しかし、相手に対する思いやりは、必ず必要になってきます。

 

それがなければ、決して満足させてあげることはできません。

 

だからぼくは「さぞ、セッセセがお上手なんでしょうね」と言われた時は、「私なんてまだまだです」と答えるようにしています。