第十二話 「かプサいしん」

 

新宿の駅前は人でごった返していた。平日も休日も昼も夜も、この街には関係ないな、とユウイチは思った。

 

「わたしラーメン食べたいなー辛いやつ」

少し前を軽い足取りで歩くモト子の後ろ姿を見ながらユウイチは、自分の中に数日前とは違うどこかぬるっとした気持ちが流れているのを感じていた。

「小野さん?急がないと、時間無くなりますよ?」

モト子が振り返って雑踏にユウイチを引き戻す。

「あ、ごめん」

ユウイチは口角をキュッと結んで笑顔を作った。

 

***

 

「調べなくていいですよ」

 

ユウイチがあっさりモト子の調査を断るのでシマは面食らったように目をぱちぱちさせて「なぜです?」とユウイチの顔を覗き込んだ。

「なぜって……」ユウイチは左手で自分の顎の肉をつまみながら、自分の中に在るはずの理由を探した。しかし、そこには何も見当たらず「何ででしょうねえ」と答えるしかなかった。

「でも、気にならないんですか?子供が居たこととか、何でそもそも山手線一周デートなのか?とか……」

シマは何とか「調査する方」へ持って行こうと必死にユウイチをあおる。

「それは、気にはなるけど。ていうか、まだ彼女の子供だって決まったわけじゃないし」

シマはいくら言っても熱量の上がらないユウイチに不満な様子で、頬杖をついて屋台の天井をぼんやり眺めたかと思うと突然何かに閃いた様に声を出した。

「なるほど!そういう事かあ」

「え?」

「やっぱり小野さんさすがだなあ」

「……は?」

ユウイチはシマが何に関心しているのか全く分からず、ぎこちない作り笑いで首をかしげる。

「小野さんの一番やりたいことはデートなんですよね?だから今敢えて彼女を調べる必要が無いって事なんですね。いやあ、僕が甘かったです。小野さんを思うなら、小野さんが一番したい事に手を貸すのが当然でした、お恥ずかしい」

「思うならって……」

どんどん話を進めていくシマにユウイチはそれ以上口を挟めないで居ると、

「絶対これだ!っていうデートをやってみせましょうね!」とフレッシュなガッツポーズを作ってシマが笑った。

 

余計な事はしないでくださいね、と言いながらユウイチはシマの言った『一番やりたい事』という言葉に感じた違和感の正体を探していた。

 

***

 

「辛い!ダメだ、僕ちょっとトイレ」そう言ってユウイチはモト子をテーブルに残し、トイレに立った。麺を啜っているモト子の後ろ姿を確認してからユウイチは店内奥の一番目立たない場所に座っている男の首根っこを掴んでそのままトイレに引きずり込んだ。

 

「何で店まで来てるんですか?!」

ユウイチに上着の襟を掴まれているのはシマだった。シマはユウイチに掴まったまま抵抗せずに喋る。

「何でって、それはこっちのセリフですよ。心配になって見に来てみれば何ですかこのデート、新宿に来て激辛タンメン食べて、辛かったねー、お疲れーって、部活終わりの学生かあ!」

シマの唾液が自分の顔に飛んできた気がしてユウイチは思わずシマから手を放した。

シマは平然とした顔で歪んだ上着の襟元を整えながら

「小野さん、いつもこんな感じなんですか?もしかして何となく時間が過ぎて行くのを見送る系の人?」

ユウイチは反論しようとして口を開けたものの何も言葉が出てこなかった。この間から言いたい事はいくらでもある筈なのに、いざ言葉を出そうとすると全く何も見えなくて諦めてしまう。今だって自分がシマに怒られている状況を不思議に思っているのに、一方ではそれを受け入れている自分が居て、どちらが本当の自分なのかがわからない。

 

「今日はもう仕方無いから、激辛タンメン食べて来て下さい。彼女と解散したら作戦会議しましょう。わかったらもう行って!怪しまれる!」

シマはそう言って、新宿駅前の居酒屋のクーポン券を手渡した後、しっし、と犬を追い払う様にユウイチをモト子の居るテーブルへ戻らせた。

2,3歩進んでから後ろを振り返るとシマがチョキを作って自分の目に当てて前に向ける仕草を繰り返していた。どうやら前を見ろと言っている様だった。

 

席に戻るとモト子が一心不乱に激辛タンメンと格闘していた。

***

 

居酒屋の扉を開けたユウイチはカウンターでビールを飲むシマを確認し、小さくため息をついてから隣の席に座った。

「生、おかわり。とこっちにも1つ」とシマが勝手に注文をする。モト子は帰ったのかと聞くシマにユウイチは新宿駅で見送り解散したと不愛想に答えた。ふーん、とシマは顎で返事をした。

二人のビールが同時に運ばれてきて、シマが乾杯をしようとするとユウイチはそれを無視してジョッキをすぐに口へ運んだ。そんなユウイチを横目で見ながら不意にシマが言う。

 

「小野さんって、今を意識しないで生きてる人ですか?」

「は?」ユウイチは突き出しの春雨を箸で持ち上げたままシマを見る。

「例えば、今春雨をつまんでいる、箸で持っている、ビール喉通った、とか」

シマはユウイチの持っている箸や、箸からぶら下がっている春雨を指さしながら言った。

ユウイチはシマの言っている事がわかるような、わからないような曖昧な表情を浮かべ

「一瞬感じはしますけど、そんな一つ一つに意識を止めてる人って逆にいます?」と言って、箸の先の春雨を少し眺めてから口に入れた。

「僕は止めますよ。自分にとって大事な時間は、絶対に」

迷いなく返って来たシマの言葉にユウイチは何故かドキリとした。

「デートするって決めたから余計な事はどうでもいい、って思ってるのかと思ってたんですけどー、小野さんって、本当は何が一番したいんですか?」

「僕は……」

そう言いかけてユウイチはまた言葉に詰まる。この時ユウイチはようやく『自分が見えない自分』をはっきり自覚した。

 

その時、ユウイチの携帯が鳴った。

 

『明日、代々木に13時どうですか?土曜なのでお昼の集合を提案します。――モト子』

 

ユウイチは暫く携帯を眺めた後、不意に手元のジョッキを引き寄せ、まだ半分あるビールを一気に飲み干した。そして空になったジョッキをカウンターに強く置き、

 

「デートをやる」と何かに誓う様に言った。

 

 

 

 

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