第十一回 はたしてそれは恋なのか/無邪気な犯行(前編)

非科学的な超常現象はおおむね信じていない。占いも予知夢も迷信も信じない。たいていのものは自分が信じたいものを信じてしまう「錯誤相関」を利用した金儲けだし、これら認知バイアスは思考のエラーをカンタンに引き起こしてしまう。騙されないぞ…という意気込みで生きていると言っていい。

「おおむね」と書いたのは、信じるケースもまれにあるからだ。それらはすべて人体の不思議に起因しているもので、もっと言えば脳の(まだ解明されていない)可能性かもしれない。今はまだ「脳のバグ」と一言で片付けられているこれらの可能性を、私は妄信している。

身近な範囲での脳のバグには、空耳や空目など、錯覚の大ボス「幻覚」がある。未経験の人なら、オーバードーズやアル中の離脱症状、精神破綻などの異常を思い浮かべて「自分とは無縁」ととらえるかもしれない。だけど、幻覚はわりと日常に潜んでいて、フとしたきっかけで顔を出す。奇々怪々の異なる世界の話ではない。私自身、幻聴を2回、そして幻嗅を一度体験している。

以前の職場で、後輩のKが「北海道に行ってきたんですよ〜。ンフフ〜」と、私の席にキャラメルを持ってきた。彼女はすこぶるホレやすいタチで、熱しやすく冷めやすい恋愛体質だ。気が多いけれど一途でわかりやすく、恋に恋する小学高学年女子のような面がある。つい先日まで社内の先輩にモーレツなアタックを仕掛けていたはずだけど、とっとと見切りをつけたらしい。どうやら恋人と旅行に行ってきたようだった。

彼女が手にしていたキャラメルは、ご当地の夕張メロン味だった。シズル感たっぷりのメロンがパッケージに描かれている。「婚前旅行っていうか〜」そんなことはどうでもいい。人の旅話より目の前のメロン(キャラメルだけど)だろう。ミドリとオレンジのコントラストがきわ立ち、夕張出身をアピールしている。味を恐縮したキャラメルならいかにもおいしかろう。私はすぐに、包み紙からキャラメルを取り出して口に放りこんだ。「グエエええええ! ウゲーウゲー!」メロンだと思って食べたそのキャラメルは、ジンギスカンのそれだったのである。Kが巧みに中身をすり替えていたのだった。

あの衝撃たるや。伝わってほしい気持ちと、そうたやすく伝わってなるものかと言う気持ちがある。夕張メロンだと思って食べたジンギスカンキャラメルの味。今ここで私が必死な祈祷により目の前のキャラメルをメロンだと思い込んでみたところで、もうあの舌の感覚は再現しようにもできない。ぜったいムリ。「夏休み、プール帰りの家。まっさきに向かった冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出してガブ飲みしたらそうめんのつゆだった」そんなギャップ味を経験をしたことがある人ならば、少しは理解してもらえるだろうか。

その日は一日中、寝るまで生ゴミのにおいが鼻の奥からただよっていた。仕事をしていても、食事をしても、お風呂に入ってゴシゴシ洗っても生ゴミのにおいがこれっぽっちもとれない。あまりの不快臭に猛ダッシュで逃げたくなるものの、発信源はどうやら私なのだ、逃げたところで治るわけでもない。とにかくずっと汚臭につきまとわれて、これは何かの病気にちがいないと確信を持った。翌日病院に行くために、保険証はちゃんと財布に入っていたかななどと確認したほどである。それが、メロンジンギスすり替え事件によるものだと気付いたのは、1日が終わる就寝前だった。

「あ、もしかしてアレが原因? あーーーっ!」

と、生ゴミのにおいが充満するふとんの中で私は気づいたのだった。

ショックのあまり、脳がパニックを起こして幻嗅を起こしていたのである。幻覚の種類には幻味もあるというから、そこまでいかなかったのは不幸中の幸いだ。それにしても、脳がエラーを起こすほど、私は夕張メロンキャラメルに期待していたというのか。情けない話である。

翌朝はすっかり生ゴミから解放されていたけれど、社内のほとんどの人に昨日の惨劇をこと細かに報告した。喫煙所で会う他社の人や管理人さんにまで訴えてみたものの、誰ひとりとして満足のいく反応は示してくれない。単独犯Kにいたっては、コトの重大さに気づいてはいないようで、むしろ予想以上の効果があったとよろこんでいるではないか。しかも、隙あらば婚前旅行の話にすり替えようとする。なにごとだろう。咎めるのもバカらしくなってしまった。

たしかに「夕張メロンだと思って食べたらジンギスカンキャラメルだった。そのせいで生ゴミのにおいにつきまとわれた」というだけのことである。なんと陳腐な話だろうか。私が生ゴミのにおいを発しつつ話すならまだしも、昨日、しかも幻嗅という、「はあそうですか」としか返しようがない案件だ。体験のないものに共感できるはずがない。こんなことなら生ゴミを持参するべきだった。

幸い後遺症もなくおだやかな日々を過ごし、およそ半年後、Kの結婚式に参列した。相手はどうみても「婚前旅行〜見てくださ〜い」とムリやり見せつけられたさっぽろ雪まつりの写真の男ではない。婚前男に会ったことはないし、驚いたようなそうでもないような妙な気持ちでいたけれど、まさかこのハレの日が、これから数年に渡って送られてくる「きつねに化かされたような年賀状」の伏線になるとは……。その後、私たちは毎年元旦、Kに驚かされることになるのである。本人はおおまじめなのに人生がコント、そんなことってあるんですね……。

(次回につづく)

今週のWEB

The Breathtaking Landscapes of Guilin in China

http://www.fubiz.net/2016/07/08/the-breathtaking-landscapes-of-guilin-in-china/

目を閉じて、いきなりここに連れてこられたら幻覚だと思ってしまうような、中国は桂林の風景写真。幻想的です。