Case5 あゝメシア 前編

 

 

 

透和くんとの出会ったその日を境に、今までよりも少しばかり息を抜いて日々を過ごせるようになった。幸か不幸か、新規の執筆案件は舞い込まなかったので、今請け負っている案件は淡々とこなした。

 

打ち合わせなど、人に会わなければいけない予定もガチガチと詰め込まず、担当者へは事前にうつ病とは言わなかったものの、慢性的な体調不良に悩まされている旨を伝え、調子が悪い時はリスケジュールをスムーズに出来るようにした。

 

始めは、自分の我儘で人を振り回してしまっていると自己嫌悪に陥っていたものの、その度に透和くんの言葉を思い出し、その感情を振り払った。今は誰よりも、何よりも、自分を最優先させる時期。そう、自分に言い聞かせ続ける。

 

最初は抵抗感があった、精神安定剤と睡眠導入剤も飲み慣れ始めた。やはり薬の効力は凄まじく、初めて処方してもらった日の夜に睡眠導入剤を飲んだら、今までの寝つきの悪さが嘘のようにぐっすりと寝ることが出来た。寝た、というよりも、落ちた、の方が表現としては正しいのかもしれない。

 

あの日以来、意気投合した透和くんとは、毎日のようにLINEを重ねた。日によっては、音声通話を繋げたまま、何時間も過ぎていた日もあるぐらいだ。同じフリーランス、同じクリニックへ通院、そして、病を抱えた自分に親身になって寄り添ってくれる彼に好意が湧かない訳が無い。ただ、これは恋愛感情というよりも、一つの救いに縋っているだけとも分かっている。それでも、今、透和くんという救いを手放す勇気は私にはまるで無かった。

 

 

 

スケジュール張を開くと、明日は通院日、その下には“とわ”と記されている。私たちは、クリニックの通院日を合わせ、受診後はお茶をしたり、日によっては食事に行くのがお決まりになっていた。だから、たかが通院日とは言え、私はきちんとメイクをし、それなりに可愛い格好をして赴いた。その姿で初めて会った日、透和くんは「いいリハビリじゃん」と軽やかに笑っていた。そういうラフな感覚が、一緒にいて心地よかった。

 

「明日は何着ていこうかな…」

 

姿見を前に服を合わせる。

 

「デートに行く訳でもないのに」

 

そう呟いたところで、簡易ファッションショーは終わらない。時刻は午前0時前。真夜中にこうしてワクワクするのはいつぶりだろうかと考えると、脳裏に過るのは…彼、紘和さんだった。紘和さんとのデート前日は、長くともあっという間に一日が終わっていた気もする。ネイルサロンに飛び込んでみたり、新しい服や下着を購入したり、もしくは締め切り前の原稿を鬼の形相で終わらせたり。楽しみすぎて寝れずに、結局目の下に出来たクマを必死にコンシーラーで隠したこともあった。

 

「会いたい」

 

そう、口から零れた瞬間、iPhoneの着信電話が鳴った。

 

「こんな時間に誰よ…」

 

まさか…と思いながら、相手の名前を見る。透和くんだ。僅かな落胆の後、驚きが生まれた。彼との通話は大体遅くとも夕方ぐらいまでで、夜はおろか、真夜中に通話する前例は無い。イレギュラーな事態に疑問が浮かびつつ、通話ボタンをタップする。すると、今まで聞いた覚えが無い彼の声色が聞こえてきた。

 

「なぁにしてんのー」

 

「え、透和くん、こんな時間にどうしたの」

 

「えへへへへ、なんとなくかけちゃったぁ」

 

 

 

 

 

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