第八回「ツイ廃に恋は難しい」

 

 

あるとき、法事で親族が集まった。親戚のお姉さんがお見合いを進めているという話になって、わたしの姉たちが「ユキちゃん(仮名)、つきあってる人とかはいないんだ?」と訊くと、ユキちゃんは親やまわりの大人たちに聞こえないところでこう言った。

「実はいるんだけど、バンドマンでフリーターで親は絶対にブチ切れるから秘密にしてる。お見合いしてる人はいい人だと思うんだけど、ぜんぜんお酒を飲まなくってさ。わたし、お酒を飲まない人とどうやって距離を縮めたらいいかわかんないんだよね」

わたしはその頃中学生だったが、「お酒を飲むとどう距離が縮まるのか」がぜんぜん想像できなかったので、この言葉をよく覚えている。長じてお酒が好きになり、お酒で心の距離が縮まることもあると知ってからは、「ユキちゃん、あのときめっちゃ因果なこと言ってたな……」としみじみ思うようになった。

 

恋愛とお酒についてはいろいろと言いたいことがあるが、今回それは措いておく。

先日、気づいた。ユキちゃんでいうとお酒にあたるものが、いつの間にかわたしにとってはTwitterになってないかということに。

「ツイッターやってない人とどう距離を縮めたらいいかわかんないんだよね」

これは業が深い。我ながらドン引きだ。

 

実際には、今のところツイッターで知り合った人と付き合ったことはないので、以下の長文はすべて取り越し苦労である。先日、友達と「いまさらいい感じの人ができても、だれかと一対一で『ご趣味はなんですか?』みたいな話からはじめると思うと気が遠くなるな……」という話になった。

「『いま何してる?』って言われるのとか、想像するだに面倒そうだよね」

「『いまなにしてる?』ってそれ、ツイッターじゃん」

「ツイッターを半年ROMってから来てって思っちゃいそう」

「やばいな……」

友達は話を合わせてくれているが、わたしの方が断然やばい。生身ではじめるコミュニケーションよりも、ツイッターの方がだんぜん楽になってしまっていた。

 

便宜上ふざけたハンドルネームを名乗ってはいるが、ことさらネットとリアルを分断する気がないので、親もきょうだいも会社の人もメレ山アカウントを知っている。

親には最初の本を出すタイミングで「顔も出しているから言い逃れできないし、万が一にも書店等でいきなりバレることがあったら、そのほうがヤバい」と思ってカミングアウトしたのだが、思わぬ利点があった。それまでは九州の実家から不定期に電話がかかってきて、すぐに出るかかけなおすかしないと「生きちょるか死んじょるかわからんやないのッ」と激怒されていたのだが、ツイッターがそのまま生存報告になるので近年わりと満足しているらしい。親もFacebookや野鳥観察ブログをやっているので、近況がひと目でわかって便利だ。

会社では副業申請を出すとき、申請書にアカウント名を書いたら局所的にちょっとした騒ぎになった。基本的に「読んで困るのは読んだほうなので読みたければ勝手に読めばよい」と開き直っているが、やはり読むほうは「メレ山さん、会社では無表情なのにこんなに長文のツイートや大量の虫の写真を……」と居心地悪く感じるらしく、おおむね平和に過ごしている。

友人は高校や大学の付き合いもだんだんと絶え、今やツイッターで仲良くなった人のほうが多い。あと編集者さんも、昨今はネットで著者の動静をチェックした上で依頼や連絡をくれることが多い。たぶん「shimekiri_yaburu」とかのリストに入っているはずだ。

そうやって長い時間をかけてインターネットに自分の一部を好きなときに好きなだけ陳列する野菜即売所のようなことを続けており、「具体的な用事があるときだけ連絡するが、おたがいの好き嫌いや近況の情報量が多いので話がめちゃくちゃ早くてスムーズ」という気楽な交友関係を築いてきた結果、対面で一から探り合っていくコミュニケーションの筋力がすでにヨボヨボなのである。

 

友達には婚活中の人もいるが、なんて気合いの要るコミュニケーションに挑戦しているんだろう……と、最近つくづく尊敬している。プロフィールにSNSのリンクがついていたら3年分の過去ログといいねを遡ってネットストーキングし、何回お茶してもわからないような相手の心の光と闇をツイートから分析してみせるのに! しかし、基本的には結婚相談所を介して会う時点では、SNSのアカウントは晒さないものと思われる。成婚に至らなければ、そのまま縁が切れたほうがトラブルには発展しにくいだろうし。

わたしがこの先、旅先や道ばたでメレ子としての顔を知らない人と出会って、いい感じになったとしよう。深い仲になったら、よっぽどノーフューチャーな関係でもなければ、どこかで打ち明けねばなるまい。

「君がそんなにスマホを手放せないのはなんでなんだ」

「ごめんなさい。今まで黙っていたことがあるの」

「えっ」

「メレ山メレ子という名前でブログを13年、ツイッターを9年、本を3冊書いていて」

「なにその名前」

「フォロワーは、これは自慢できるような数ではぜんぜんなくていまどきこれくらいの人はざらにいるんだけど、ネットで自己顕示をあまりしない人から見たらじゅうぶん気持ち悪いだろうから言うけど13798人いるの」

「言い訳が逆にガチっぽくてほんとうに怖い」

なんか百年の恋も終わりそうな気がしてきた。

たとえ自分が受け入れてもらっても、逆にすごく好きな人のネット人格がぜんぜん好みじゃなかったら耐えられるだろうか、というのも想像としては怖い。徒然なるままによしなしごとを書き綴るくらいならまだいいが、ことさらに漢字をひらいてピュアな感じの演出をする人だったらもう限界だ、なんなら戦争だ。毎朝フォロワーのひとりひとりにリプライで「おはようございます^^」って言ってる人とか、個人的にはネットの良さが台無しだと思うけど、対面だとめちゃくちゃいい人のような気がする。

 

ナンパ師で鳴らしている人が男数人の集まりではめちゃくちゃ寡黙でぎこちなかった、という話を聞いてから、ひとくちにコミュニケーション力といってもその種類はけっこうあるよなあ、と思うようになった。コントロールできる場の範囲は、人によって違うのである。

ネットでの人間関係でも、疲れたり飽きてやめていく人、アカウントを変えて転生していく人は多い。いま自分がたいしてストレスを感じずに居心地の良さを享受しているのは、ネットを通じて人とつながることに、何かしらの適性があったということなんだろう。基本的には今も昔もネットが大好きだが、快適すぎる環境が自分の道を知らぬ間に狭めていることもある。

因果というのは、気づいたら戻れないところまで来ているものである。とりあえずわたしが言えるのは、「ハンドルネームはもうちょっとオフラインで名乗りやすいものにしよう」ということだけだ。