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第十一回 「粗挽きそば切り、かき揚げつき:1800円」


 

 

平日のお昼時にぽっかり時間があいて、神宮前で蕎麦屋へ入った。何度も前を通ったことがあるのに、重厚な引き戸に隔てられて店内の雰囲気を覗けずにいた店だ。最近になって、軒先へ看板を出して外国人観光客向けの英語メニューを掲げるようになった。おかげで想像したほどの高級店ではないと知り、私もようやく暖簾をくぐることができたという次第。

注文したのは粗挽きそば切り、かき揚げ付き。粗挽きといっても思った以上に繊細な味で、ぷちぷちと蕎麦の食感が楽しい。かき揚げは大きな海老がたっぷり入って、しいたけの他に三つ葉やパプリカなどで彩を添えてある。胃にもたれない揚げ物を久しぶりに食べた気がする。どろりと濃厚な粒状の白濁がとごる蕎麦湯もいい。無心で箸を動かしつつ、そういえば『天国飯と地獄耳』という本で、蕎麦を食べながら隣席に聞き耳を立てる話を書いたなぁ、と思い出していた矢先、

「はー、お金なーい!」

と声が飛んできた。同じカウンターで隣に座る、二人組の女の子だ。近所のブティックで働くカリスマ店員と言われても驚かないほど綺麗に着飾っているが、月給額に文句を言う会社勤めのOLだった。所属は広告代理店、近所で打ち合わせを終えた帰りのようだ。忙しい、忙しい、上司が使えない、残業つらい、お金ない。昼からビールを分けて飲み、天せいろに卵焼きをつけて、会計のときも領収書を切らず、ぶつくさ言いながら仕事に戻っていった。合計六千数百円、どちらかが一万円札を渡して、お釣りを精算しながら店を出て行った。その背中を見送りながら私は思うのだ、

「いや、お金、あるじゃん!」

外国人観光客を歓迎して中学生以下をお断りするような、古民家調の内装にけったいなジャズアレンジのボサノバが流れているような、天盛りとビールをつけたら一人当たり3000円を超えるような、そんな蕎麦屋の暖簾をホイホイくぐる経済力を誇った若いお嬢さんたちに、それで「お金なーい」と言われてしまったら、正直どんな顔していいのかわからない。だって私があの子たちくらいの年齢のとき、こんなお店にフラッと入れなかったよ!?

最初に立ち現れるのは、そんな嫉妬心だった。実家を出たての頃は一人の財布で一人の暮らしを切り盛りすることにまだ慣れず、預金残高マイナスの状態で月末までどう生き延びるかを必死に考えていた。そんな人間はめったに「お金ない」と口に出して言わない。言えば言うほど己を追い詰めていくからだ。

だが、その後は私もさんざんこのフレーズを口にした。ゆえに、二番目に立ち現れるのは、反発よりも共感だ。新社会人が節約に慣れてくると、少しずつお金が口座へ残るようになる。金銭的な余裕ができたら銀座へ繰り出して毎日1000円ランチを食べた。精神的な余裕ができたらその空隙を埋めるようにして「お金なーい」と明るくボヤいた。試験会場で受験生が「やばーい、今回ぜんぜん勉強してなーい」と口を揃えるのと同じメジャーコードの旋律で。

そのうち仕事が忙しくなる。深夜残業が続いて昼夜逆転の生活、ストレス発散が必要で、こんな時刻に隠れるようにビールを飲んだりもするようになる。でも、お金はある。これだって身に覚えがある。盗み聞きした限り、彼女たちの鬱憤は「時間なーい」である。時間を切り売りしてお金を得る、でもお金を使う時間がない。無限に時間があれば無限にお金を使えるけど、時間もお金も有限だ。だからこそ私たちは、この蕎麦屋での時間を、高いお金で買うんでしょ。第三の波はそんな、共感による反発だ。

 

 

そうです、ついさっきまで私は、自分がものすごい豪奢なランチをしていると心密かにはしゃいでいたのです。だってあなた、昼日中にフラッと一人で隠れ家蕎麦屋だよ。贅沢じゃん。この日とこの日は14時半以降ですねー、なんて自己中心的なスケジュール切って、故意にぽっかり時間を作ることに成功したのだよ。贅沢じゃん。小ビール飲んじゃおうかどうしようか迷ってグッと我慢して代わりにかき揚げつけたんだよ。贅沢じゃん。手打ちの蕎麦、アンティークの蕎麦猪口、ボサノバにさえ耳を塞げば何もかもが洗練された上質の味わい、日本国外では何十ドル何百ドル積んだってできない体験、細部に宿る神、贅沢じゃん、贅沢じゃん、私もあなたも、贅沢してるじゃん!

認めよう、認めたい、認めなければならない、と考えるほど、胃袋におさまったばかりの蕎麦の味を思い出せなくなる。この第四の感情は何だ。不安か。粗挽きそば切り900円、追加のかき揚げ900円。高いよな。高い高い。そんじょそこらの立ち食い蕎麦300円は敵わない味で、見合っていると思う。でも、3000円の昼酒付き蕎麦から放たれる「お金なーい」の前で霞んでしまった。普段より多めにお金を使ったのに、得られるはずの高揚感がないなんて。「プチ贅沢」の効果は、ことほどさように脆く儚い。

ここは東京、神宮前だ。30品目サラダと自家製パテドカンパーニュ、カップスープにドリンク付き、といった作り置きの惣菜を切って並べて水モノで嵩増したランチセットでも、1500円は毟られる街である。そう考えると安いのかな。おい待て、安いってことはないだろ。駅の反対側に昼コース4000円の蕎麦屋があった。アラフォーおひとりさまがくぐるべき暖簾はあっちだったか。でも、そんなのただ価格だけ釣り上げるインフレチキンレースで、行き着く果ては一杯100万円のワインや純金の便座とかになってしまうよな。

箸を持つ手が滑った。金銭感覚の天秤が傾いて、身体の平衡感覚まで狂ってしまったのだろうか。若くて青くて世間を知らず、グルメに疎く安物の服がやけに似合っていた、過去の自分を乗り越えていくには、相応のお金がかかる。その過程は私だけのもの、他人と、ましてや一回りも年下の女の子たちと、比べる必要なんかないはずである。それはそうなのだが。

漫画『美味しんぼ』に「トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ」という台詞がある。それが目指す大人の姿、偉すぎてもいけない、貧乏すぎてもいけない、というやつだ。先日またSNSで拡散されていて当該コマだけ何度も目にしたが、久しぶりに見た感想は、「トンカツをいつでも食えるような大人になると、トンカツがいつでも食えなくなるんだよな……」だった。

若いお嬢さんたちにはまだ意味がわからないだろうが、我々はもう、昼でも夜でもトンカツ食うには、朝から臨戦態勢、相応の覚悟で胃袋のコンディションを整える必要がある。通りすがりの思いつきで暖簾をくぐって「プチ贅沢」が体験できる場所は、ちょっと値の張る蕎麦屋くらいなのだ。

トンカツは譲る、ラーメンも明け渡す、スイーツバイキングだって行っておいで、男どもに肉を奢らせるのもいいだろう、でも、こんな場所でくらい、中年に1800円で「お金あーる」を楽しませてくれ。第五番目の感情の波とともに店を出る。いいかい、値段の問題じゃない。これは値段の問題じゃないんだよ。

 

 

 

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