第十四回 人の本性はトイレットペーパーの使い方にでる


同級生のYは、チリ紙にただならぬこだわりを持っていた。トイレに行くときは、ロッカーの鍵をあけ、しまってあるネピアかなにかのボックスティッシュを取りだして小脇に抱えていく。拭き心地がいいとのことだった。彼女の父親は金融機関の頭取だったから、金持ちはちがうな、と思ったけれど、今にして思えばチリ紙ごときをいちいちロッカーに入れていたので意外とケチくさいのかもしれない。西の方で会社を立ちあげ、ひとりで子供をりっぱに育てあげた。

あれからもう30年だ。世間ではボックスティッシュの紙をトイレに流すべからずの風潮が生まれ、ウエットティッシュやら鼻セレブやらのハイクオリティ路線も世にでてきている。ちょっと検索してみたら、皇室献上品 高級トイレットペーパーなるものまであって、1ロール換算すると1,300円。コーヒー付きのランチが食べられる値段である。こういったものはいっそのこと10倍、20倍の金額にして、富豪には大いに消費していただき経済をまわしてほしい。

実は私も、トイレットペーパーには人一倍うるさい。Yのように、紙質やブランドに執着するわけではなくて、不届きなちり紙の使い方を見つけては憤慨するというめんどうなうるささである。トイレットペーパーの使い方は、使うものの本質が如実に現れる。腹立たしい紙の残骸を見たとき、相手が誰かわからないのに「お、おのれ……」と怒りにふるえてしまう。

これは一時、マナー違反か否かで物議を醸したトイレットペーパー三角折りのことではない。あれは理由が不衛生だとかなんとかだったけれど、そんなことはすこぶるどうでもいい。なにより問題は残量である。

多く残っているときはなんの感情もわいてこない。むしろ、一度も使ってなさそうな、新しいロールだったりすると「取り替えてくださりありがとうございます……」と感謝の念さえわいてくる。また、それとは逆に、すっからかんになったトイレットペーパーの芯を目にしても、ちっめんどくっさ、くらいの気分でおわる。いやむしろ、感情などどこにもなくて、すみやかに予備と交換している。

これはOKタイプ

私が殺意を覚えるのは、うす〜い一枚を芯に残した状態を目にしたときだ。あのようなうすさで、たかが15センチくらいの紙を残す行為ははなはだ愚劣である。

使用者の主張するところは、「1、まだ残っている。よって予備のロールに取り替える必要はない。 2、すなわち、良心の呵責にさいなまれる必要はない。3、むしろ、残したんだから自分は善人の可能性もある。4、わたし、ズルくない。」というところだろう。しかしとうてい拭ける長さ(量)ではないのだ。あのペラい残紙ごときでここまで主張するとは、厚顔無恥にもほどがある。

トイレというトイレはみなトップオブ個室。これほどまでプライベート然とした空間はほかにない。誰の目も届かない(というか届いたらヤバい)密室だからこそ正々堂々とする必要がある。こういう時にこそ人間が試されるというのに、なんだろうか低劣なこのザマは。

ごらんください。芯が透けてみえんばかりのうすさ

先にも書いたけれど、1ミクロンも紙が残っていないほうがどれだけマシだろうか。「おわっちゃいました」「使いきりました」「めんどくさいから取り替えません」という開きなおりがみえる。「私は、あとで使う人のための心づかいなどしません」という主張である。これは潔い。だがどうだろう、ペラ紙を残す輩はそろいもそろって善人ヅラをする。良識あるフリをしながら、芯の透ける紙をおおいばりで残すのである。

私は皆が思うほどヒマではないのでトイレの番人などできない。親の目の黒いうちは逮捕もされたくないので、利用するトイレというトイレに監視(盗撮)カメラを設置することもできない。けれども、生きているうちに、万が一これら知能犯を見つけたとしたら、これでもかとペラいチリ紙を目の前にかかげながら、耳たぶを引っ張りあげて鼓膜が破けるほど声を大にする。そして言うのだ。

「貴〜様は〜! こ〜れ〜で〜! 拭けるのかぁ〜っ!!!!!!」

実現もしていないのに、書いただけで苦情疑似体験をしたような、清々しい気分だ。

それにしても、トイレットペーパーひとつで何もそこまで……という尋常ではないこだわりっぷりだと自分でも思う。ことこの件に関しては、異常かもしれないと疑ってかかっている。けれども、「ペラ紙を残すような人間は今までもモテなかったし、これからもモテない。つまり、一生モテませんから」ということを、呪いのようにここに残しておきたかったのだ。

今週のWEB

Toilet Paper Wedding Dresses

https://bit.ly/2TseGYC

トイレットペーパーウエディングドレス大会。トイレットペーパードレスもここまできたかと思う作品ばかりです。