第十回「まぼろしの糸」

 

 

 

(注意:この記事の後半では、映画『ファントム・スレッド』のストーリーの根幹に触れています)

 

星野源がこわい。星野源といってもそれは当然ながらわたしの妄想の中の虚像としての星野源であることは断っておきたいが、とにかく饅頭こわい的な意味でこわい。

音楽・演技・執筆の才能があって、もはや知らない者はないだろうというくらいお茶の間に浸透していながら、ひとりでも多くの人に名前を覚えてもらうために歌の最初に「こんにちは星野源です!」あるいは最後に「ありがとうございます星野源でした!」と叫ぶほど謙虚で貪欲。誰にでも好感を与える人なつこい笑顔と、根暗な影の部分を併せもっている。そんな人間が行動圏内に存在していたら、もともとの好みのタイプなんて関係なく好きになるに決まっている。

しかしさらに恐ろしいのは、その輝く才覚に惹かれて近づいたら最後、めちゃくちゃ傷つく未来が星野源の光背に透けて見えるところだ。星野源がいかにコミュニケーションにおいて努力家で、自分のコンプレックスと向き合いロジカルに消化してきた人か、というのは、インタビューやエッセイを積極的に追っていなくても何度か読んだことがある。

一方こちらは、自分を変えるよりも自分と同じような弱さをもつ人、自分を傷つけない人を嗅ぎ当てる嗅覚のみを鍛え、インターネットの一隅に落ち葉やタンポポの綿毛を集めてやわらかく小さいゴミみたいな巣を築いてきた。一代で身を興して出世した人の会社が往々にして従業員に対してハードな労働環境であるように、星野源がもし、自分に対するストイックさを同じ強度で他人にも求める人だったら。わたしはそのとき、立ち直れないくらいぼろぼろになれる気がします。

 

「一度はぜったいに好きになるんだよ! でもどうやってダメになるかめちゃくちゃ想像できるんだよ!」と演説したところ、おおかたの反応は「なぜ今後会う可能性もない人間に対してそこまで妄想できるのかわからない」という冷ややかなものだったが、女友達が「それって……わたしの元彼じゃん!」と返してきた。

彼女の元恋人は生物の研究者だ。アマチュアとして生きものが大好きな彼女にとっては出会ったときから眩しい存在で、海外のフィールドにもいっしょに行ったりして、うらやましい交際ぶりだった。だが、いっしょに暮らす上での相性は良くなくて、生活リズムも合わなかった。「友達でいたときのほうが、彼の好きなところを享受できていた気がする……」と、だいぶ落ちこんでいたのを覚えている。

才能がある人は強烈に輝いていて、近くにいたら好きになってしまうのに、いっしょに過ごすために必要な資質や相性は才能とはまったく相関がないので合わないとたいへん不幸になる。人が「恋人欲しいなあ」とつぶやくとき、それは「つらいときやさびしいときに自分を理解して味方になってくれる人が欲しいなあ」という意味が多いと思うが、恋人にこそ開示したい心の脆弱な部分を才能ゆえの鋭さで切り裂かれたら、メンタルはもうしっちゃかめっちゃかになる。エクセルがパソコン上では完璧に見えても印刷すると必ずどこかしら見切れているのと同じくらい、人類に搭載された大きな不具合だ。

結局その日は彼女と「才能に惹かれて付き合うのって車にぶつかるようなものだから、たまに死ぬけどしかたないよね!」という結論に達し、さらにたくさんお酒を飲んだ。

 

『ファントム・スレッド』という映画を観た。

ロンドンで世界最高級のオートクチュールの仕立て屋を営むデザイナーのウッドコック。彼は異常に繊細かつ几帳面で、彼のドレスの世界観を体現してくれる美しい女性を常にそばに置いている。恋人の体型が崩れてきたり、独占欲をあらわにして彼の静謐な生活を乱すようになると、手切れ金がわりのドレスを与えて彼のハウスから追い出してしまう。彼が求めているのは、16歳のときに再婚用のウェディングドレスを仕立てた母親のイメージで、その他大勢の女性たちはドレスの養分にすぎない。

ウェイトレスのアルマもそのひとりになるはずだった。彼女は今までの女性たちに比べて特別な美人ではないが、おそらくウッドコックの母にそっくりな体つきをしていて、彼にとってひときわ特別なミューズになる。気が遠くなるほど美しい衣装に囲まれて、彼女はどんどん綺麗になっていくが、ミューズ=体のいいマネキンに過ぎないことにすぐに気づき、苦しむようになる。

美意識が鋭すぎるマザコンの天才。自分がアルマの友達だったら、「ヨシッ! 別れよう!」とアドバイスするしかないやつだ。「でも、ファッションショーとかで精根を使い果たして抜け殻みたいになった彼ってとってもかわいいのよ、その数日だけは赤ちゃんみたいな彼を独占できるの」とのろけるアルマ。聞いてると若干イラッとするから、しばらく距離を置きたい。別れてからだったら愚痴大会にいくらでも付き合える。

アルマの愛情表現や苛立ちのぶつけ方はシンプルで、粗野だけれど魅力もある。「いいこと考えた! あの”わたしだけの赤ちゃん”状態、人為的に(つまり一服盛って)再現すればいいやん!」と思いつき、実行する行動力を備えたアルマ。ウッドコックは食事に毒キノコを入れられて母の幻を見る。一緒にいるかぎり続くふたりの我の張り合いの中で、毒キノコはひとつの手段として自然に受け入れられる。えっなんでちょっと待って……と思いつつも、圧倒的に美しい映像に高揚しているうちにすべてが終わってしまうのだ。

 

日常は映画ではないので、関係に煮詰まっても毒は盛れない。そもそも毒を盛っても何も解決しないことがほとんどなのだが、我の張り合いが映画よりも奇妙な形で成立してしまう関係もある。どちらかが一方的に我慢することで成り立っている共依存関係は珍しくないが、どちらも一歩も引かずに歯が折れるほど殴り合うけどわりと仲良しの夫婦とかを見ていると、そういうものなのか……ともどこかで納得してしまう。

自然界に存在する落ちそうで落ちないので観光名所になっている巨石みたいなもので、真似しようとしてできるものではないし真似したくもない。関係が心を蝕む前に、眩しすぎる人のもとを去ったほうがいい。でも、強烈な才能にあふれた人が近くに来たら、また懲りずに好きになってしまうんだろう。