第十七回 トレンチコート地獄

 

 
電車の中で本を読んでいた私のヒザに、誰かの足がガツンと当たった。いつもは空いている車内なので、こんなことはめずらしい。そういえば人身事故か何かで、電車が遅れておりますとアナウンスがあったような気もする。痛いというほどの衝撃ではなかったけれど、か細い声で「すみません……」と言ってきた女性の声に「だいじょうぶです」と顔をあげたら、そこには初めて見るベージュな空間が広がっていて私の頭がだいじょうぶではなくなってしまった。

トレンチコートという名のベージュワールド……。

一瞬、脳がバグったかと己を疑いにかかった。いやこれ、どう考えてもおかしくないですか私だいじょうぶ? と思って、つい写真を撮ってしまった。そこにはたしかに5枚のトレンチコートがあった。5人のうら若き女性たちが、それぞれのトレンチを羽織っている。見渡すとどうやら私の周囲だけがトレンチ大集合になっているようだった。次の駅で降りるのだろう、となりに座っていた女性が席を立ってドアに向かったのだけど、二度見というよりも思わず声を出しそうになった。「お前もかあーーーーーー!」こういう場合も灯台下暗しといっていいのだろうか。とにかく彼女もトレンチコートを着ていたのである。(なのでさらに撮った)

なんの磁波か引力か知らないけれど、トレンチはトレンチを引き寄せる法則でもあるのだろうか。サバンナにおけるシマウマ、あるいは擬態するヒラメのように、ベージュに紛れながら天敵から身を隠すとか逆に獲物を狙っているとか、コンクリートジャングルだからそういうことなんだろうか。もうすぐ池袋に着きますけど? なんでもいいので納得いく説明をしてもらわなければ気がおさまらない。「これはいったい!」と叫び立ち上がって、ひとつひとりに詰問する妄想にとりつかれながらも私は社会人として冷静を取りもどしていった。なんなんだいったい……。

Twitterで今の心境をそのまま語ってみたら、「新入社員がこぞって着ているのでは」と意見をいくつかもらった。けれどもトレンチーズはみんな知り合いではなさそうだし、新人にしては気怠そうでフレッシュさに欠ける。なによりコートの中身はジーンズやらミニスカートやらでいたってカジュアルで、リクルートスーツではないことからとても新人だとは思えなかった。もしかして……流行ってる…?

会社の人に写真を見せた。私の周辺がどれほどベージュだったか、問いただしたいところをいかにして自制したかなどを報告したら、“流行りのものを着るとモテるのか”という議論にシフトしていった。考えてみればズバ抜けてキレイだったりセンスが秀でているよりも、よく見るタイプが日本ではモテる。

「あと、今ってあえて大きいサイズを着るのも流行ってるんですよね」

と言う。

「はあ? ぶかぶかってこと?」

ビッグシルエットといって、オーバーサイズのコートやセータなどをダボっと着るのがモテにつながるということだった。

「彼の服を借りてきちゃいました的な……」

「え、でも彼がいるアピールしてるんならモテないんじゃない?」

「華奢に見えるらしいです」

「はー? 華奢? そうかなー。つか華奢っていい? 華奢ってべつによくなくない?」

「いや、なんか…そういうのじゃなくて……」

あきらめの顔をして、相手は話を変えてくれた。コレクションしている大好きなキャラクターをメルカリのアイコンにしたんですキャハハという内容だった。今度は私があきらめの顔をした。あきらめの顔って、あきれた顔でもあるんですね。

華奢をアピールするためのビッグシルエットがモテにつながるかどうかはよくわからない。ざっくりとした、袖の長いセーターやトレーナーを着て、袖まわりをブラブラさせながら小走りする女子はたしかにかわいらしいかもしれない。けれどもそれは、なんだかあざとい。これがモテに直結するとしたら、するほうも惚れるほうもうす気味悪いのひとことに尽きる。

ぶかぶかの定番といえば、女子が羽織った恋人のYシャツだろう。はじめて彼の家に泊まってアレコレした翌日、先に目覚めた女子がとりあえず着てみた彼の大きすぎるYシャツ。なぜかスボンもスカートも履かずにパンツ一丁でコーヒーを淹れるのである。ちょうどマグカップにコーヒーを注いだあたりで彼の目がさめるタイミングである。朝日を背にした片手にコーヒー。クシャッとした髪の毛。大きなYシャツから覗いている生々しい足。「あ、起きた?」と、照れくさそうに差し出してきたコーヒーから湯気……。などというドラマ的シチュエーションはそう訪れるはずもなく、だいたいあんなにバカでかいYシャツというのも力士でもあるまいしちゃんちゃらおかしい。しかも最近では、先に起きるのは男性の方が多いのではなかろうか。(当社比)ないな。ない。絶対にない。

ないと判明したところで戻ってトレンチコートである。平成も終わり、令和が迫りくるこのご時世にいまだ昭和のイメージを引きずっている私にしてみればトレンチコートすなわちコロンボ警部である。しかもコートはヨレヨレでなくてはならない。

うーん…。やっぱトレンチコートとかってモテなくなくなくないですか?

今週のWEB

itsmaysmemes

https://www.instagram.com/itsmaysmemes/

なんのマニアかジャケットをドデかく加工してアップしているインスタアカウント。重ね着させたりもしてイミフなのがたのしい。

 

 

 


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