第十三回「男手を頼らない」

 

 

 

隙あらば「やっぱり男手があるといいわねえ」という冗談を言ってしまう。

用法としては、つきあっている男の人に固いビンのフタを開けてもらったとき、電球を替えてもらったときなどに用いる。隙あらば言いたいのだが、つきあっている人がいないので言う隙がない。わざとクネクネと芝居がかった感じで言って「なんだよ(笑)」とか言われるところまでがワンセット。

 

本気で「男手がほしい」と願うことがあるとすれば、それはたとえば誰かに命を狙われているときであり、「警察力がほしい」に言い換え可能だろう。実際には、ひとりのときにビンのフタが固まっていたら、無表情で湯せんしてあたため、然るのちスプーンの柄を差しこんでこじ開けている。

電球を替えるのは、取り付け場所に合う口金をチェックしたり、昼光色やら蛍光色やら白熱球やらLEDやらを数多ある電球から選ぶのが苦痛なのだ。踏み台にのぼって取り替えるのはそんなに嫌じゃない。むしろ、IKEAで買って組み立てた踏み台が何をどうしてもグラグラしていることのほうが喫緊の課題だ。

そういうちょっとした不具合を放置していると、家に来た人が見かねて「なんでそのままにしてるの! しょうがないなあ」と言いながら改善に着手してくれることがある。いやいや、そんなに困ってないんですよ、わたしほどの者になると。「暗いと不平を言うよりも、すすんで明かりをつけましょう」の境地を超えて「暗いと自然と眠くなる(スヤァ)」だけなのです。七面鳥のように。

なぜ七面鳥がここで出てくるかというと、むかし読んだファーブルの伝記まんがで、ファーブルの幼少期のいたずらエピソードとして「七面鳥の首を羽毛の中にしまってユサユサ揺さぶると、七面鳥はコロリと眠ってしまう」というのがあり、憧れているからだ。七面鳥の体調に影響がないのであれば、いつか試したい。

 

話が逸れたが、わたしはどうやら「電球替えてくれてありがとう」という照れと「別に困ってないのにダメなやつ扱いされた……」という反発が愛憎半ばしたとき「やっぱり男手があるといいわねえ」と発しているらしい。

今回はもともと「ちょっとしたことを恋人に頼るのはいかにもスイートで、親密さが高まりますね」的な話をしたかったはずだ。しかし、振り返ればそこには「至らない部分を人に指摘されて、素直に感謝せず茶化すのはいかにもモテない奴の特徴」という事実。

 

会社の寮に住んでいたとき、よくものを借りにくる同期がいた。借りるのはガムテープとかささやかなもので、かわりに旅行のお土産とかをくれるのだが、わたしは内心「ガムテープくらい、そこのコンビニで買ってきたらいいのに」と思っていた。わたしなら「だれかの部屋をノックしてものを借りる心理的負担」が「着替えてコンビニに行ってガムテープを買ってくる面倒くささ」を上回る。

だが、彼女が社内で仕事している様子を見ると、万事においてちょっとした借りを作るのが上手だ。頼られた相手はちょっと嬉しそうで、そのあとのコミュニケーションがスムーズになる。

そういえば「ささいな頼みごとをすると親密度が上がる」と、ドラマ「メンタリスト」でパトリック・ジェーンも言っていた。それは潜入捜査で容疑者に近づく必要があるシチュエーションだったが。わたしも、たまにエクセルの書式設定について教えてあげたくらいでめっちゃ感謝されると、気が大きくなって「いつでもどうぞ~」とか言ってしまう。

 

頼りにするのが上手な人は頼られるのも上手で、そのバランスが絶妙だ。頼ったり頼られたりが、親密度を上げる機会として適切に機能する。大きな相談事も、おたがい構えずにできる関係になる。逆に、ふだん人に頼るのが上手でない人間ほど、いったん誰かを「この人は頼ってもいい人!」と認識すると歯止めが利かなくなる。

わたしはこれがいちばん怖い。電球もビンのフタもどうでもいいが、「恋人ならこれくらい分かってくれるはず」という期待がすごく大きい自覚があるし、期待が裏切られたときにちゃんと話し合って軌道修正できたことがない。

 

女性の家に住みこんでヒモをしていた友達がいる。

今は家族がいて、家事育児も上手そうだ。その様子を見て「ヒモのときも、ごはんを作ったり洗濯をしたりしていたの?」と訊いたら、「は?????」と言われた。

「家事をしたらヒモじゃないでしょ? それは立派な家事労働でしょ?」

たしかに家事は立派な労働だ、ごめん。じゃあヒモとして、なにを提供していたんでしょうか。

「家でおかえりって言ってくれる人がいたらそれでいいっていうのが彼女の希望だった。ヒモは恋人じゃないから、よそで誰かとつきあってもやきもちも妬かれないし。家にいるときだけいっしょに過ごして、電話番号も知らなかったから就職して土地を離れてからは連絡も取ってない」

聞いているうちに「これ以上は期待しないし、されない」というラインがあるのは、恋人や配偶者より楽かも……という気持ちになってきた。ただ、そこまで線引きできているヒモ契約は世間でも珍しい気はする。そもそも、雇用主(?)が優秀すぎる。求めるものと与えるものを明確に言語化でき、しかもそれを交際期間中ずっと守りつづけて……恋人同士でも、それができれば(そして要求がかみ合えば)うまくいくだろう。

誰とどう付き合うにしても、何をしてほしくて何をしてほしくないか、それを早めに伝えるのが大事だな……と、ものすごく当たり前のところに着地したやりとりだった。

 

「役割」が決まっていない人との関係にストレスを感じる者としては、自分の役割が決まっているイベント運営などは、体力的にはきついが気持ちとしては楽だったりする。ただし、協力してくれる人になにかの役割をお願いするのは、やっぱりすごく難しくて負担をかけまくっている。

ひとりではできないことをやろうとしている最中、「男手」や「人手」という言葉にはあまり意味がないんだな、と感最近実感することが多い。「男手が足りない」「人手がない」と言うとき、その手には顔がついていないが、実際にはやることが無限にある中で「誰がやっても変わらない仕事」というのは驚くほど少ない。体力があるかどうかも、実はそんなに関係ない。

逆に、顔を持った誰かが自分で考えながら手を貸してくれることで、ひとりでは思いつかなかったものがどんどん生まれてくる。それが楽しいから、「あなたならこういうことをしてくれるんじゃないか」という期待と共に頼りたいし、そのほうが期待以上のものを見せてもらえる確率が高い。

だから「男手があるといいわねえ」という言葉、今後もたぶん、冗談でもなければ使うことはないんだろう。

自力でビンのフタをこじ開けるのも達成感があって好きだが、ひとりでできることばかりやっていると、自分自身がビンのフタみたいに固まってしまうことがある。これからもだれかと役割を分担することで、ちょっとずつでも変わっていきたい。

 

 

 

 

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