第十四回「解像度、上げチャイナ」

 

 

中国に赴任して21か月、恥ずかしながら中国語能力がゴミである。

日本語ペラペラの中国人同僚に甘えつづけた結果なのだが、この状況に対して「中国人の恋人を作れば上達するかもしれませんね!」と、ユーモアセンス抜群、抱腹絶倒、全米が泣くアドバイスを受けることがある。中の中クラスが中の上になることはあるかもしれんが、ニーハオシェイシェイレベルの中国語でどうやって彼氏を作るんだ。

先日、同僚の女子たちとおやつを食べていたら、通算50回目くらいの「メレヤンに中国の男を紹介して語学力を向上させよう」会議がはじまった。さらにだれかが「日本の女性は優しいと思われているので、中国人からモテますよ」と聞き捨てならんことを言い出したが、他の子に「だめ! メレ山さんのアピールポイントは優しさじゃない!」と秒で却下された。そうなんだけど、わたしの優しさを否定するのが早い、あとできればかわりのアピールポイントを挙げてほしい。

いずれにしても、彼氏ではなく中国語の先生に向かいあうべき時ではある。最初はまじめに通っていた中国語学校、タクシーに乗るのもお店で注文するのも死にもの狂いのうちはよかったが、とりあえず生きていけるとわかったころから先生との当たり障りのない会話が苦痛になってサボるようになってしまった。

当然の結果として、いまの生活の”解像度”の低さがそろそろつらくなっている。目の前で起きていることの社会的な意味や微妙なニュアンスが読み取れないことに慣れてしまい、感性も鈍磨してきた気がする。

 

中国の結婚事情が垣間見えるよ、と人から教えてもらい、上海名物・人民公園の「相親角」を見てきた。毎週末、人民公園で開催される婚活マーケットだ。婚活といってもお見合いパーティや街コンとは違い、おもに親が子の結婚相手を探すらしい。

人民公園は、上海の中心地にある緑ゆたかな公園だ。地面に広げたいくつもの傘にA4大の紙が貼ってあり、その前に年配の人々がたむろしている。雰囲気的には骨董市みたいだが、ひとつひとつの紙には、こんな感じでプロフィールが書いてある。

男(陸家嘴) 85年11月 未婚未育 1.72 本科 年薪16万元 有房 有車

女(静安寺) 83年 身高:165cm 体健貌端、未婚、有国家法律職業資格証等証書、父母公務員

実際には簡体字なのだが、漢字だとなんとなく意味がわかるのがありがたい。

じっくり観察すると、まずびっくりしたのが身長へのこだわりの強さだった。

個人的にはそんなに大事なことかな? と思うのだが、男女ともにほぼ必ず、センチメートル単位で身長を申告している。プロフィールの下に相手に求める条件を書いている場合にも、ほとんど身長が条件に入っている。男性は170センチ以上、女性にも160センチ以上を求める人が多い。

中国の人、こんなに身長にうるさかったのか……知らなかった……! ちなみに、152センチのわたしはこの時点で脱落している。

「両親ともに退職済」「中共党員」などの情報もある一方で、趣味や人となりについての描写は薄い気がする。「穏やかな性格」とか「容姿よし」とか、スペースが余ってたから書きましたくらいの淡泊さ。

結婚しようかってのに、大事なこと(どんな昆虫が好きかとか、猫は何匹飼いたいとか、デートはどこに行きたいとか)が何ひとつわからない! と思ったが、たぶん親向けだからこれでいいのだ。当人のいないところで人となりを細かく検討しても仕方ない。そして、わたしの知りたい要素はあまりにも婚活と関係ない。

80年代生まれのプロフィールが圧倒的に多いが、親としては子が30代になったあたりから焦るのだろう。海外在住者コーナーもある。そして女性比率が高く、びっくりするほどハイキャリア。「海外の大学でMBA取得、年収60万元(=約960万円)」なんてのもある。高学歴・高収入の女性ほど結婚相手が見つかりにくい傾向は日本より顕著らしく、「剰女(売れ残り)」というスラングまである。

独身者への圧が日本以上に高い一方で、結婚へのハードルもべらぼうに高いのである。マンションや車を持参金がわりに購入しないと結婚できないので、上海から高速鉄道で40分ほど離れた蘇州に家を買って通勤する人もいる。

本人たちの意思はどうなんだろう。親に「公園で身長、収入、学歴申し分ない人を見つけてきたから!」と言われて、前向きに結婚を考えられるんだろうか。

傘と人のあいだを歩くうちにドンヨリしてきたが、もともと結婚にあまり意義を感じていないので想定内であり、ドンヨリしに来たともいえる。それよりも、どれくらいの人が成婚に至るのか、公園で子供の相手を探す人の感覚が、今の中国でどれくらい一般的なものなのか、というのもよくわからずもどかしい。解像度の低さを実感するのはこんなときだ。

ウロウロしていたら、ひとりの中年女性が謎のQRコードを持って何か言いながらついてきた。「これをスキャンして」と言っているようだが、これってまさか。息子さんの、wechatの、連絡先なのでは。

「不好意思! 我不会説中文! 我是日本人!(すみません、中国語話せません、日本人なんです)」

わたしはめちゃくちゃ焦って、人民公園から逃走してしまったのだった。ここは戦場、冷やかしで潜入すべきではなかった……。

 

中国に来てしばらくは、解像度が低いことが逆に面白かった。買い物ひとつにも達成感があったが、いわば海外旅行の延長の楽しさだ。新鮮さや物珍しさが薄れたわりに地元に溶けこむでもなく、今はいちばん生活を楽しめていない、もったいない状態なんだろう。

前に聞いた「苔の観察会をやったら駐車場で一日終わった」という話を思い出す。本命の遊歩道に入る前の段階で、駐車場が苔的な意味で興味深すぎたため、苔好きたちは持ち時間を使い果たしてしまったという。さすがに素人は駐車場でここまで楽しめない。深い知識と好奇心が、解像度を爆上げするのだ。

この「解像度」は、自分の好きそうな人たちがどのへんの穴に潜んでいそうか、という嗅覚にも通じる。

わたしの好きな人たち。つまり、だいたい何かのオタクで、ひとりの時間を楽しむすべを知っていて、でもしんどさを抱えがち、山や磯に憧れがちなまつろわぬ民。彼ら彼女らの根城にたどり着き、自分なりの関わり方を見つけるのに日本でも二十数年かかったわけで、中国でもそう簡単にはいかないだろう。しかし、どこかには必ずいるはずなのだ。少なく見積もって100人にひとりいるとすれば、中国総人口14億人のうちきっと1400万人くらいは……(そう考えると多い)。

まずは解像度を上げる努力を、地道に重ねるしかない。苔や地衣類の名前を調べるように、言葉や文化を学んで、だれかの悩みや好きなものを知っていきたい。そうしたら、目の前にある風景が違ってくるはず。

自分にそう言い聞かせながら、ほこりをかぶっていた中国語テキストを開いたところだ。道のりは、長い。