第十七回 「ゲッソーのパーカー:61ドル(送料込み)」

 

 

 

東京メトロ日比谷線を東急東横線に乗り換えた中目黒駅で、ゲッソーのパーカーを着ている人を見た。今から6年前、2013年春のことだ。なかなか体格のいい男性で、私の目は釘付けだった。超かわいくて、ちょっとかっこいい。何もかもが素敵。耳の裏で鼓動が高鳴るのがわかる。一目惚れである。

声をかけたいと思ったが、東横線車内で私のすぐ前に座るその男性はキャップを目深に被り、目を伏せて眠っているように見える。降車駅が来るとパッと立ち上がり、大股で去って行ってしまった。

私の目に残ったのは、ただただ鮮やかな青色ばかり。脳裏に焼き付いて離れない。今まで一度だって、こんなふうに心を奪われたことはなかった。欲しい。欲しくて欲しくてたまらない。それで手に入れた。男性ではなく、パーカーを。

ゲッソーは『スーパーマリオブラザーズ』シリーズに登場する敵キャラクターである。イカだからゲソ。安直なネーミングだ。とくに思い入れが深いわけではないが、昔からこのゲームの海中ステージ攻略は苦手だった。だからこそ惹かれる。発色のよい青いパーカーの、右上胸元に大きなゲッソーが一体、左下ポケット付近に小さなゲッソーが続く。彼奴等のあの斜め泳法を想起させる小にくらしいデザインである。

自由が丘駅を過ぎ、脳内もうずっとあの三拍子の水中BGMがエンドレスループして鳴り止まない。スマホを取り出して「ゲッソー パーカー」で検索をかけた。いくつか商品画像が見つかるが、リンクを辿ると品切れだ。Twitterで「再発売予定はないが、Mサイズは特注で65ドルだと言われた」とつぶやく人物を発見し、手が勝手に「欲しい」と引用RTした。

価格がドル建てということは販売元は米国か、と英名を調べて「Blooper Hoodie」で検索すと、取り扱い店舗が一件見つかる。位置情報はワシントン州バンクーバー。アメリカンアパレルのアイテムにファミコンゲームのキャラクターを刷り込んだ商品展開のほか、ステッカーなども販売している。Tシャツもあり、カービィもピカチュウもいるけれど、やっぱりゲッソーの、やっぱりパーカーが、断トツで一番かわいい。

と、「Mサイズ特注」の経緯を書いた人がTwitter上でレスを返してきた。「中目黒だとしたら、わたしかもしれません」……なんと、ついさっき車内で見かけた男性と同一人物だったのだ! 私を乗せた電車は元町・中華街駅に到着していた。その日が3月8日、婦人物の在庫を問い合わせて翌9日に購入し、手元に届いたのが4月11日。今となっては悪くないスピードだと感じられるが、当時は一日千秋の思いだった。

 

このパーカーは、私にとって「初めて」の結晶である。電車内で見かけた人、しかも異性と、まったく同じ服が欲しくなったのは初めてだ。愛着のある「推し」でも何でもない、どちらかといえば思い入れの浅いキャラクターがプリントされたグッズを買ったのも初めて。そして、ファッションに取り入れた途端たちまち愛着が湧いて当該キャラが「推し」へと転じた経験も、初めて。当時まだ日本語版が未整備だった「Etsy」を使ってネットショッピングしたのも、初めて。地球の裏側から一点物を取り寄せるのに、着丈について英語で細かくやりとりしながら通販したのも、初めてだった。

あまつさえ、図版は酷似しているものの明らかに任天堂のオフィシャルライセンスなどまったく取得していないであろう、いわゆる海賊版アイテムに、それと知りながらお金を支払ったのも、初めての経験だった。そう、大きな声では言えないけれど、ぶっちゃけパチモンである。商品が到着するまでは、きっと悪徳業者に違いない、代金を踏み倒されてもおかしくない、と気が気でなかった。

後から知ったことだが、米国では俗に言う二次的著作の許容範囲が広く、本家本元への商業的影響が低いファングッズについてはフェアユース免除規定に該当すると見做されて、結構堂々と頒布されている。自分が住むようになって、いわゆる「公式そっくり」の図案を用いたインスパイヤ商品の多さに驚いた。グレーゾーンが広く単にお目こぼしを受けているだけという状況は日本と変わらないが、そのセーフ判定が一段階も二段階も甘いという体感がある。

もしも任天堂がまったく同じパーカーを作っていたら、私だって公式タグ付きの正規純正品が欲しいし、ニセモノの存在は許せないと感じただろう。しかし私が知る限り、この色、この柄、この図案が生み出すこのパーカーの断トツの「よさ」は、バンクーバー拠点の今はなき小さなネットショップ、omgsamplesの「オリジナル」である。日本ではアウトのものを購入した罪悪感に苛まれ、着る機会も限られていたのだが、アメリカに住み始めてからはすっかりセーフの気分で袖を通している。

言うまでもなく、ゲッソー本来のキャラクターデザインなくしては成り立たない商品だが、私も私で、イカさえ付いていれば何でも買う信者というのでもない。今まで一度も任天堂謹製の関連グッズを購入したことのない私が、このパーカーの放つ独特のかわいらしさに物欲を刺激され、対価を払って「初めて」手に入れたいと思った。その価値は、本家公式を凌ぐことは有り得ないが、しかし「無」というわけでもないだろう。今はそう考えている。

どこへ着て行っても「その歳でよくそんなもの着ますね!」と驚かれる。自分でも、どうしてこんなにお気に入りなのか意味がわからない。問答無用の一目惚れである。一度は在庫が切れたわけで、地球上で最低何十着かは売れたはずだが、何度検索をかけても、件の男性と私の他に同じパーカーを買って着て自慢している人の情報が出てこない。実質ペアルックだ。しかも私のほうから一方的に、押しかけペアルック。こんなことも人生最初で最後じゃなイカ。もしまた街中で着ている人を見かけたら、今度こそ駆け寄って声をかけ、ハグの一つも交わしたい。

 

 

 

 

 

 

 

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