第十六回「怪獣の墓場」

 

 

 

ウルトラマンに倒された怪獣の魂は、怪獣墓場に行くという。

わたしはその日、仕事でひどい目に遭った件について居酒屋で愚痴っていた。他人をけなせば自分が出世できるのならともかく、そうでもないのに人の足を引っ張ろうとする人がいる。出世しないならなおさら、自分もまわりもせいぜい機嫌よく働ける快適な環境にしようと思わないのだろうか。

すると、じっと愚痴を聞いていた人が

「メレ山さん……それはね、”怪獣墓場”だよ……」

と言った。

地球で悪さをはたらいてウルトラマンに倒された宇宙人や怪獣の魂は、怪獣墓場という異空間に流れ着いて眠っているのだという。「自分が思うほど仕事でうまくいかなくて、ほかの楽しみも見つけられなかった男の心はね、たやすくポキッと折れて怪獣墓場に堕ちてしまうのよ……」

そういうものなのか? わたしは仕事で折れるほど自分を強く恃んだことがないからよくわからない。出世したいともできるとか以前に、定年まで働けるのだろうか……仕事のほかに楽しみがないというのもわからない。

「怪獣墓場って、そもそも何のためにあるんですか? 特撮を見る子供のために、殺し合いにワンクッションおく設定なのかな?」と訊くと、

「いや、怪獣墓場から戻ってきた怪獣でリターンマッチができるから。毎回違う怪獣を考えるの大変だしお金もかかるし、リサイクルだよ」

という返事が返ってきた。

怪獣、むしろ死してなお舞台への復帰を待望されているのでは。怪獣の嘱託再雇用である。そういえば「怪獣酒場」というウルトラ怪獣をテーマにしたお店があるけど、あれって怪獣墓場が元ネタだったんですね。

「怪獣墓場って言いたかっただけじゃないですか!」「そうかもな! ワッハッハ」となってその場は終わったのだが、野心に破れた怪獣たちが流れ着く異空間のイメージは心に残る。その後、満たされてないタイプの人が他人に当たり散らしているシーンに出会うと、心の中で「怪獣墓場怪獣墓場」と唱えてやり過ごすようになった。

 

たとえ定年まで順風満帆だったとしても、人生「あがり」といかないのが辛いところだ。

最近、鴻上尚史さんの人生相談(※注1)の連載が話題になった。相談者は66歳の男性。隠居生活に入ってこれからは弟妹や妻との時間を楽しもうと思ったら、成功自慢や上から目線の説教が以前から煙たがられていたことがわかり、旅行やお酒にも付き合ってもらえない。孤独に苛まれ、風呂場で涙しているという内容だ。

一読して「この年齢まで、ここまで自我に揺るぎなく生きてこられたのがすげえな」と素朴に思った。人生に成功をおさめてきた、そのための能力に恵まれ努力もしてきた、という自負に支えられてきたのに、これからただの人として生きるにあたってその自負が重荷になってしまう。

鴻上尚史さんは思いやりのある態度で、ネットや趣味を通じて対等な人間関係を築いてみることを薦めている。数十年かけて固めた妻や兄弟との関係は今さら簡単には変わらないとも指摘していて、優しくもあり強烈な釘刺しにもなっている。

 

仕事人間を見るとうわーと思い、仕事人間が落ちる穴についてのストーリーを貪欲に摂取する。じゃあ別に仕事はただの金稼ぎの手段にすぎず、他人の評価は要らなくて満ち足りているのか。否である。「やっぱりいついかなるときもハチャメチャにほめられたいし認められたいなあ!!!」と、自分のなかの怪獣が元気よく返事をする。

結局わたしは仕事人間をバカにしつつ、承認欲求おばけだからこそ入念すぎるリスクヘッジをしてきたのだ。評価されるチャンスを本業の外にも求め、ブログを何年も書いてきた。得体の知れないペンネームでも、長年続ければアカウントへの信頼がそれなりに蓄積され、寄稿依頼も舞いこむ。これが例えば原稿をどこかに持ちこんで編集者にボロカスに言われながら研鑽を積む、という形だったら、すぐ挫折していたと思う。

軸足を複数の場所に置き、気に入ってくれる人をじっと待ち、傷つくリスクを最小限に抑えながら承認をじょじょに得ていく。この戦略は、今のところ思った以上にうまくいっているはずなのだが、ここまでやっても不思議なことに、不安からはいっこうに解放されないのである。

毎朝フレッシュに「会社行きたくねえ」と思っているはずなのに、しめきりの迫る原稿がどうしてもまとまらないときは、朝の光が射して会社に行かなければならないことに救われる。「今の仕事をつづけて、定年まで会社においてもらえるかしら」と悩みはじめて「いっそ別の国でぜんぜん違う仕事をはじめてみてはどうか」と、よりリスクのでかい夢を見る。

いろんな不安のビンを開け、ちょっとずつ違う色の煙を吸ってむせる。不安と不安のあいだに薄く挟まれた有給休暇とかのちょっとした「快」に生かされている。

 

わたしが特大の認められたい気持ちを持て余している一方で、たとえばわたしの上の姉はわたしと興味関心の対象は近いものの、表現することにほとんど関心がない。「いいね」するためだけにツイッターのアカウントを保有しており、あまりにも発言しないので共通の友人界隈では「ROM神さま」と呼ばれている。

同じ血を分けていても、これだけ違うものだろうか。彼女は温厚で正義感が強く、自分がいくら軽んじられてもほぼ怒らないが、他人が同じ目に遭うといきなり決起するので「菩薩すぎて逆にキレるタイミングが読めない」とも言われる。もしかしたら人間界をROMるために、どこかの星雲から派遣されているのかもしれない。

そういうたたずまいが羨ましいとは思いつつ、今のわたしから認められたい気持ちを取り去っても菩薩になれるわけではなく、残るのはただの無気力な肉塊である。せめて周囲に当たり散らしたりマウンティングを仕掛けるタイプの怪獣にならないよう、怪獣として自らを律していくしかない。

「あ、いまちょっと怪獣墓場にいるわ」と思ったら、花屋で花を買ってくる。シャクヤクがつぼみから数日かけてゆっくり咲くさまを「ほめられずとも咲く花はえらいな……」と愛でているのである。

 

 

注1:「66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない老後を憂う相談者に鴻上尚史が指摘した、人間関係で絶対に言ってはいけない言葉」https://dot.asahi.com/dot/2019042600016.html

 

 

 

 

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