第十九回 「フェミニストのポスター:70ユーロ(送料別)」

 

 

私は今まで自分から積極的にフェミニストだと名乗ったことはないのだが、先日「FEMINIST」と書かれたポスターを買った。Olimpia Zagnoliの9色刷りのシルクスクリーン作品で、限定40部のうち1部。

ベルリンのLe Racletから買ったので、送料はもう少しかかった。時間もだいぶかかった。3月7日にオンライン購入して、自宅に着いたのは4月末だったろうか。飛行機で数時間の距離なのに、途中で郵便事故にでも遭ったのかとひやひやしながら待った。がっちり梱包されて無事に届いたので拍子抜けした。

ヨーロッパ製の紙のサイズはセンチで切られているが、私が住んでいるアメリカでは額のサイズがインチで刻まれている。わざわざ「50センチ×40センチにもぴったり」と謳われたものを選んだのに、案の定まるで寸法が合わない。調整のため試しに壁にかけたまま、もう数日が経過した。自重でちょっとズリ下がって、与えられた額縁とぴったり合ってはいない、型に嵌まりきれていないポスターが、そのまま日常の風景と化しつつある。

私は今まで自分から積極的にフェミニストだと名乗ったことはないのだが、オリンピア・サニョーリは前々から好きだった。カラフルで強くてかわいくて、明るくエロい女性たちの姿を描いたイラストレーション。赤い眼鏡のアイコンと、ウェブサイトに浮遊するおっぱい。本人のファッションもかわいい。

まるで意味がないようで含蓄のある、抽象的な、だまし絵のような作品群がとくに好き、画像共有サイトのフォルダにたくさんクリップしてある。それらに比べると、今回の買い物はずいぶん具体的で直球で、どちらかというと彼女らしくない……少なくとも「私が好きな彼女の作風」とは、だいぶ違っている。

鮮やかな黄色の背景に女性の白い手が伸びていて、それぞれの爪に違う色のマニキュアが塗られており、その一本一本に「FEMINIST」と書いてある。8本指のこの手は、作家本人のものであるという。

 

 

私は今まで自分から積極的にフェミニストだと名乗ったことはないのだが、どうして毎回、ここまでの文章でもじつに三回! こんなにいちいち〈私は今まで自分から積極的にフェミニストだと名乗ったことはない〉と書くかについては、自分でも多少わかっているつもりだ。

自称すると「おまえなんか『真の』フェミニストじゃない」と言われる。ちょっと逸脱すると「フェミニストのくせに」と言われる。何か失敗すると「これだからフェミニストは」と罵られる。一方で「別にフェミニストなんかじゃ……」とモゴモゴ断りを入れれば、「思想を同じくしているんだからきちんと名乗れ」「フェミニストの定義も知らんのか、不勉強だ」「責任逃れをしているんじゃないか」などとも言われる。

どこか党派に属しているわけでもないのに、どちらへ転んでも「あいつらは」と見知らぬ誰かと一緒に括られる。「男は」「女は」と括られる抑圧からの解放を求める運動じゃなかったっけ? そんなこんなが億劫になって、「積極的に名乗ったことはないが、定義の上ではそうだと自認しているし、もしもそのように呼びたければ、誰でも、何でも、好きに呼べばいい」と思うようになった。

「三代続いて江戸生まれなのが江戸っ子」という定義と似ている。「あなた江戸っ子ですよね?」と訊かれたら私は、「たしかに祖父も父も東京出身とはいえ、実家があるのは『江戸』と呼ばれていなかった地域だし、母語は母方由来の関西弁だし、いわゆる本格の江戸っ子たちとは違う点も多いので、自分からは名乗らないです」と説明するだろう。「でも、三代続いてるんでしょ?」と食い下がられたら、「そう呼びたければ好きに呼べ」と思う。不勉強でも責任逃れでもない。

東京都心へ引っ越してきたばかりの人が、部屋に「江戸っ子」と書かれたポスターを飾るのはどんな気分だろう。ちょっと変だろうか。伝統文化にかぶれている奴だ、と笑われたりもするだろうか。でも住み続けていれば名乗りに実態が伴って、その人の子や孫は江戸っ子になるかもしれない。逆に、三代続いた「真の」江戸っ子に生まれた人はどうだろう。そんなものを部屋に飾るのは、恥ずかしいとか、粋じゃないとか、言いそうだ。おいらが江戸っ子であることはてめえが一番よくわかってるよ、と。

私はそのどちらでもない。自分から積極的にフェミニストだと名乗ったことはないが、起きてコーヒーを飲みながら、寝る前に歯を磨きながら、朝な夕なにポスターを眺めては、自問自答を繰り返す。オリンピア・サニョーリの8本指は自分が「FEMINIST」だと主張する。私の指はどうだ。やるべきことが山積みであまりに忙しいとき、左右の手に指が8本ずつあればいいのにと思う。好きな色があまりに多すぎて、全部を爪に塗ってみたいときにも、5本じゃ足りないと思う。

だって、どうして同じ色に塗らなくちゃいけないの。一つの胴体から伸びた腕、五つか八つに分かれたその末端部分、「F」と「M」とは、「I」と「I」とは、同じ手から生えていても別々の指、一つ一つ違っていていいのに。色とりどりに蠢く個と個の集合体が、左から右へ「FEMINIST」という綴りに読めるなら、誰でも、何でも、好きにそう呼べばいいけれど。

このポスターは、私が待っていた「答え」ではない。そうしたものが、お金を出せば手に入る、送料を負担すれば家に届く、という話ではない。名乗れば誰でも江戸っ子になれるわけではないのと似ている。これは70ユーロと引き換えに、じりじり時間をかけて家に届いた「問い」で、お金を払って私は、ゆっくりじっくり自分の「答え」を考える時間を手に入れた。