第十七回 「かわいい服に、負けないで自分」

 

 

 

今回は服や化粧、アクセサリーで「装う」ということについて考えてみたい。

先日、アクセサリーの作家さんがツイッターでアクセサリーについて書いているのを見た。元の投稿がたどれず、記憶で再現しているがだいたいこんな内容だ。

「自分はアクセサリーを作って販売しているので、とうぜん好みはあるけれど、それを超えてアクセサリーというものの存在ぜんぶが好き。電車で見かけたお姉さんの胸元に輝くひと粒パールのネックレスとか、女子高生が耳につけているリボンの形のピアスとか、いろんな人の『装いたい』という気持ちにふれるたびに幸せになる」

なるほどと思ってから、街や会社で見かける人の身に着けているものがいっそう目にとまるようになった。装いたい、つまり「”なにかもっといいもの”になりたい」という気持ちを勝手に受信して、自分もすこし元気になれる気がする。

 

モテる服とかメイク? 知らん! 「○○代でこの服装はイタい」みたいな不安商法記事は滅びよ! これからも茶色いリップを引いて年甲斐のない服を着て、好き勝手にチャラチャラするぜェーーーッ! 文句がある奴はかかってきな!

と思っているし、それで本稿を締めくくりたい気持ちは変わらない。だが、最近いまいち威勢が良くない。30代後半を迎えて、「かわいい服に顔が負ける」問題が心に影を落としているのだ。

もともと、わたしは服や身に着けるものを買うのが好きだ。細かい刺繍、鮮やかな色の裏地やボタンのかがり糸、異素材が不思議な切り替えになった布、体型まで変わったように見せてくれる綿密に計算された裁断ライン。そうした工夫に感動するし、それが装備することで自分の一部になる気晴らし効果は絶大だ。

実用上で気にしているのは「アイロンが不要かどうか」ぐらいのもの。あえてシワシワに加工された素材などは、見た目が愉快なだけでなくこれ以上シワシワにならない、まさに天才だ。「また会社に着ていけない服を買ってしまった……」と言いながら、だいたい数日したらしれっと着ている。

自分にとってときめく服とときめかない服の違いについては、こんまり先生の手を借りずともモルダウの流れのごとく滔滔と説明できる。こんまり先生も無の表情で「好きにしたらええがな」と言うだろう。だが、「服にはときめくが、それを着た自分にときめかない」ようになったとき、その苦悩をどう乗り切ればいいのか。

 

大きな鳥がモチーフのワンピース、はっきりした色のセルフレームのメガネ、悪目立ち上等の巨大なピアス。お店で試着したときには、お買いものの興奮で上気した顔によく馴染んで見えた。会社に向かう朝、これらを身につけて姿見の前に立ってみたときも、かすかに違和感が走るくらいで済んでいた。

それが、息も絶え絶えで仕事をしている最中、ふと洗面所で自分の顔を見るとぎょっとするのである。かわいい服のかわいさが、自分の疲れっぷりから浮いている! そのため、より疲れてみえる。おまえは持ち主の生き血を吸って輝くという、妖刀村正だったのか。

「あンた、背中が煤けてるぜ……」が決め台詞の麻雀漫画があるけれど、「あンた、顔が煤けてるぜ……」だとただ単にすごい失礼なだけである。他人に言われた言葉ならツルハシなど持ち出して応戦できるが、この場合は失礼を言っているのも言われているのも自分であり、脳内で反射的に放たれる言葉は防ぎようがない。

 

もともと昔から、着まわしや合わせやすさよりも、目立つことや物珍しさに過剰に価値を求める傾向があった。「ただの服好き」と「真にオシャレな人」の分水嶺のひとつがここだと思う。

「装う」の「装」は「武装」の「装」だ。とかく住みにくい外界に立ち向かうため、お守りとして好きなものを身に着けたい、そんな気持ちも強い。近年は生きもの好きたちとつるむようになった結果、虫柄の服や生きものモチーフのアクセサリーに接する機会も増え、「シロツメクサの指輪……? 着けたいに決まっているだろう……」「華奢なナナフシのネックレス……えっ、脚の部分がシャラシャラと可動するだと……?! ポチっとな……(クレジットカードを取り出すまでもなく、スマホで流れるようにカード番号とセキュリティコードを入力)」と、散財が止まらない状況にある。物欲の魔法で人生がときめく。

10年前、20年前よりは装うために使えるお金が増えた。10年後、20年後はどうだか知らんが、知らんからこそ今しかできない浪費も楽しみたい。心から満足できるお買いものができるようになったのに、身に着けたものを長きにわたって乗りこなす元気と気合いが、はやくも目減りしつつあるのがショックすぎる。自分が若さでいろんなものをねじ伏せていたなんて、ガチで若いときは自分では気付けなかったんだもの……。

「自由なファッションを楽しむ欧米のおばあちゃんたち」みたいな画像を見ると、以前は「こういうババアになりたいものよ」と思っていたが「30代後半から50代にかけてのファッションの遷移も見せてくれ」と願うようになった。少なくとも、虫柄や鳥柄の服くらいで「元気がなくて着られない」とたじろぐような中年女性でなかったはずだ。でも、いまさらVERYやCLASSYみたいな服も着られないし……。

 

なにかもっといいものになるために装っているのに、装うことでダメージを受けていては本末転倒である。可及的速やかな対策が必要だ。

実際のところ、今は「妖刀村正タイプの服は元気な日(休日とか)だけ着る」くらいしか思いつかないのだが、元気がない日ほどお気に入りの服を着たいのが人情である。

友人には「元気な瞬間を増やせばいいんだよ!」と筋トレを薦められたが、わたしは騙されない。たしかに一理あるが、おまえはただ筋トレが好きで、すべての問題を筋トレで解決したいと思っているだけだ。何が解決しなくても、世界が終わるまで筋トレを続けているだろう。

だが、ふと最近、まだ着たいのに着られない服の筆頭株だった大きな鳥のワンピースに、別で買った辛めのショートジャケットを合わせてみたら、目立つ感とかわいすぎる感が絶妙なラインで調和し、妖刀がフッと成仏したように思えた。単体の攻撃力ばかり追求してきたが、そういえばファッションとは「組み合わせ」である、という原理原則をいまさらのように知った気がする。

手持ちのアイテムを生かせるような組み合わせ力を、今更ながら勉強したい。そして、うまく自分の中に残った元気を引き出せるような、そんな装いがしたいものである。