第十八回「砂漠で霧を待つ」

 
 

 

 

数年前から「井戸理論」というのを唱えていて、いろんなところで書いたりしている。

元ネタはサン・テグジュペリ『星の王子さま』終盤に出てくる王子さまのセリフ「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」だ。詩的で想像力をかきたてる言葉だが、ふだんは「会社が美しいのはね、有休を隠しているからだよ……」とか言ってふざけている。いや、有休というものの尊さを考えるに、冗談どころではないのだが。

わたしにとっての砂漠は「人間」とか「社会」とか「世間」であり、井戸は「好奇心」とか「情熱」とか、要するに人を人たらしめるものである。

生きもの観察会でもユーザーイベントでも同人誌即売会でもいい。「好き」で集まる場所で目を輝かせている人たちを見るたびに「えっ……人間って、こんなに活力に溢れている生きものだったのかよ!?」と思う。この楽しそうにしている人たちが家に帰って、翌朝からまた死んだ目で電車に乗ったりパソコンを叩いたりしてるのであれば。逆に言えば、わたしがふだん死んだ目しか見ていないあの人にも、心からわくわくする瞬間があるのかもしれない。そう考えてなけなしの元気を出すのが、井戸理論である。

「いや、そもそも仕事が好きなので、べつに死んだ目で仕事してねえよ」とか「べつにそんな瞬間ないけど、死んだ目のままで生きてちゃいけないのかよ」という感想もあるだろう。特に後者は、無気力を友とする女からみても共感度マックスであり「そうですよね! 死んだ目のまま生きる自由もありますよね!」と身を乗り出してしまったりもするのがややこしいところだ。

ともあれ、井戸理論はそういう自分が苦しまぎれに編み出した思いこみにもとづく精神安定法なので、共感できなかった人も許してほしい。「この人たちも好奇心の井戸を隠しているに違いない……」と思うことで、わたしの死んだ目にかすかな火が点るのだ。

 

これも何度目の呪詛になるかわからないが、わたしには自分が「正しいオタク」ではない、という暗いねたみの心がある。

趣味の世界がどこでも風通しがいいわけではないが、風通しのいい趣味の場所でモテる人というのは

  • 膨大な知識と好奇心に支えられたマイワールドがあり、
  • 対象への愛ゆえに興味をもった人の首ねっこをつかんで沼に引きずりこむ健全なエネルギーを備え、
  • 自分が愛のおもむくままに行動しているので他人を怨んだりとやかく言うことが少なく、基本的に上機嫌である

という、巨大な恒星のような人間である。すべて正反対の人間からすると、サングラスをかけずに直視すると目が死ぬ。

そして、そういう人のまわりには慕う人が集まり、はた目にも気持ちのいい関係ができていく。砂漠のオアシスに人が集まり、街ができていくように。

生きもの好き界隈のいいところは、生きものそれ自体が面白いとかフィールドの宝さがしの楽しさだけでなく、分野Aと分野Bの達人がお互いを尊重しあいながらキャッキャしている場面を観測しやすいことだ。年長の男性が年下に敬語を使って丁重に接し、自然に教えを乞うているシーンなどを見ると、外野で勝手に「ハァ~~~敬意に満ちた仲良し関係……良い……」という心理になってしまう。

この関係性に萌える気持ちは、語弊を恐れずに言えば、めちゃくちゃいい感じのBL二次創作とかを読んだ感に近い。実際にBLという言葉を使って知人どうしの関係を形容してしまったこともあるが、それは良くない。ナマモノ(生身の人間)でのBL妄想は、単純にものすごく失礼なので厳禁である。あと、せっかく恋でも愛でもない関係の良さに萌えているのに、わざわざ恋愛的な要素を絡めたら台無しだ。

我に返って当事者の奥さんに「すみませんでした」と謝ったところ、どことなくワキワキとした様子で「うちの夫は攻めなんでしょうか、受けなんでしょうか……」とつぶやいていたので、なんか良くない扉を開けてしまったのではないかと不安になった。別の友達には「そういうブロマンスな関係性が好きなら、ちゃんと妄想の中で楽しめる○○や△△という作品があるから……」と、BL沼に優しくおいでおいでされた。

恋でも愛でもない関係性を楽しめる創作も、BLに限らず増えてきているように思う。現実の中で、尊敬や尊重に基づいた仲良し関係の観察につとめてしまうのは、年齢・性別・役職等にもとづいた上下関係やしがらみに、それだけ深くうんざりしてしまっている反動なのだろう。

 

ところで、砂漠=死の世界ではなく、その過酷な環境に適応した愉快な生きものの住みかでもある、というのは、ちょっと生きものが好きな人ならみんな知っていることである。

アフリカ南西部のナミブ砂漠に住む「キリアツメ」という属のゴミムシダマシがいる。見た目は黒っぽい地味な甲虫だが、彼らは極端に雨が少ない土地で、水分を得るために変わった行動をとる。夜に海から流れてくる霧をとらえるために、砂の上に逆立ちのような姿勢で立ち、体の表面に結露した水を口に垂らして飲むのだ。

実際にナミブ砂漠に生きもの観察に行った友人から見せてもらった砂漠の写真は、赤茶色のなめらかな砂丘と群青色の空のコントラストが強すぎて、遠近感が狂う。「Windowsの背景画像に人をクソコラしたみたいですね」と失礼な感想を述べてしまった。

砂漠が美しいのはね、体に霧を集める不思議な虫を隠しているからだよ。

友人知人の人間関係を観測しては萌えているわたしも、キリアツメみたいなものかもしれない。それで砂漠が美しくなるかどうかには、責任が取れないが。

 

また虫の話をしてしまったが、この連載はモテや恋愛の話をすると見せかけて、わたしの好きな虫や生きものの話をする連載なのでそれでよいのである。できれば最初から最後まで虫の話だけしていたいのだが、なぜか恋愛や人間関係がテーマのように偽装するだけで、99%虫の話をしていても体感比30倍くらい読んでもらえるので不思議だ。

おまえら、そんなに人間が好きか。やはり、ゴミムシダマシではなく人間として生を享けたのがなにかの間違いだった。ブツブツ言いながら、今日も不思議なポーズで、海から流れる霧を待つ。