Case11 Lover’s Real 前編

 

 

 

『いいよ』の返信が来てから、具体的に会う段取りが組まれるのだろうと思っていたが、また透和くんからの返信は途絶えた。何を勝手に意気込んでいたのかと、自分に対して失望した半面、心のどこかではこれで全て終わったのだと安堵を抱いてもいた。三日、五日、一週間。段々と連絡が来ない期間を数えるのもやめた。寒さがより一層、厳しくなった冬の空の下を歩き、行き着く先は通っているクリニック。また今回も、先生と手短なやり取りをし、処方箋を受け取る。

 

薬の量が減ることは無いが、増えることも無い。いつしかの私は、現状維持は衰退の始まりだと感じ、ただひたすら走ってきたけれど、今は不思議と焦りはない。物事には、常に良い面と悪い面…幸と不幸が存在する。私は今まで現状維持の不幸ばかりを見てきた。けれど、幸もあるのだと気づいた。走れない時は、走らなくていい。例え歩くことに変えたとしても、立ち止まってはいないのだから。

 

通院後、特に予定は無かったけど、私は何故か化粧を施し、それなりに余所行きの格好をしていた。無意識的に透和くんに会えるのを期待していたのかもしれない。あてもなく渋谷の街を歩く。今日もこの街には、様々な人たちが行き交っている。うつ病になりたての頃は、誰もが私と違い、キラキラと楽しそうだと思っていた。でも、きっと笑顔を浮かべながら歩いている人たちも、皆それぞれ何かを抱えているのだろう。成功者と持て囃されている人も、もしかしたら計り知れない何かに怯えているのかもしれない。

 

時刻は20時を前にしていた。少しばかり、お腹が空いてきた。外食をする余裕は無いので、そろそろ帰ろうと道玄坂を下り、駅へ向かおうとしていた時、LINE電話の着信音が鳴る。消え去っていた期待が一気に沸き起こり、すぐさまiPhoneの画面に視線をやれば、そこにはダークホースとしか言えない名前が表示されていた。あまりにも突然のことで、通話ボタンを押せない。歩道の端に寄り、暫くその表示名を見つめる。着信音は鳴り続けている。嬉しさと恐怖の間とは、こんなにも居心地が悪いだなんて想像もしていなかった。

 

着信音が鳴り終わると、すぐにLINEのメッセージ通知が来た。誰からのメッセージかは想像が容易い。息を飲み込み、恐る恐る通知をタップすると、“ひろわ”のチャットページに飛んだ。着信があった表示の下には、『今どこいる?』の一言。この瞬間、嬉しさよりも何故だか怒りが込み上げてきた。散々、私を振り回し、傷つけたのにも関わらず、謝罪も無しにこのメッセージ。今すぐにでも、折り返しの電話をし、怒鳴りつけてやりたかった。しかし、脳裏に透和くんの顔が過る。もしかしたら、透和くんに何かあったのかもしれない。そして、紘和さんはそれを知っているかもしれない。紘和さんへの怒りよりも、透和くんへの心配が勝った。

 

『渋谷』とだけ返信をすると、また着信が入る。今度は間髪を入れずに通話ボタンを押した。聞こえてきたのは、ずっと聞きたかった声だった。

 

『もしもし?渋谷にいるの?』

 

「色々といきなりすぎません。一応、酷い別れ方をした仲ですよ」

 

一息を置いてから、自分なりに低めの声で返答した。

 

『君も言いたいことは山のようにあるだろうけど、とりあえず今から送る住所に来て。タクシー代は出すから』

 

相変わらず、彼のペースに巻き込まれてしまう。せめてもの抵抗として、無言のまま通話を切った。それでも、彼は自分の要求に私が応じることを見越し、住所を送ってきた。記されていたのは、元麻布だった。きっとこれまでと同じようにバーとかだろう。

 

「…何をやってるのか、私は」

 

溜息をつきながらも、車道側に寄り、タクシーを止めようと手を挙げていた。人に会えるような恰好をしていて良かったと思い、タクシーに乗り込めば、いつかの夜のように手鏡を片手に化粧直しを始める。久しぶりに愛していた…いや、今でも愛している男性と会うのだから、心はいつになく踊っている。鼓動の早さがそれを裏付ける。でも、心のどこかでこれが本当の最後なんだとも感じていた。今の私には、二律背反な想いを胸に指定された住所へと向かうことしか出来なかった。